昨年6月の東名高速でのあおり運転をきっかけとした事故の裁判が始まった。
この事件について思うところがある。
これは石橋被告がパーキングエリアで注意されたことに腹を立てたことが引き金となり、最終的に萩山さん一家の2人の娘を残してお父さんとお母さんが亡くなってしまった事件だ。
僕はこのお父さんが正しいことをした末に大きな不幸に襲われるという結末がどうも気に食わない。
僕の母は曲がったことが許せない人で、街中で知らない人に対しても良くないことを良くないと注意ができる。
しかし父は違う。
今の時代、誰がいつ何をしてくるかわからない。もしかすると自分が間違いを注意したことで何か怒りを買ってしまい、自分や家族に危害が及ぶこともありえると考えていた。
僕はこの考えが許せない。
大事な人を守りたい気持ちは理解できる。実際この萩山さんは娘を置いてこの世を去る結果になってしまった。
それでも僕は良くない行いを見て見ぬ振りをすることは自分も同罪だと思ってしまう。
やはり対話を以って伝えるべきだ。
そこで僕はこう考える。
このニュースが全国で流れたことであおり運転の多さやその危険性が知れ渡ることになった。
僕はこの萩山さんのおかげだと思う。そう思いたい。
ご両親を亡くした娘さんたちにとっては大きな損失だと思う。だけど萩山さんは社会に対して大きな意味をもたらしてくれた。僕は本当にそう思う。誇りに思って欲しい。
決して悪いだけの結末じゃない。
だからこそ僕は、正しいことは正しい、間違っていることは間違ってると、しっかりと言えることが大切なんだと思う。