ソートベーカリー

小麦粉をこねてパンを焼くように、頭の中で考えたことを文章にしていきます。

逆上がりパン

僕は逆上がりができない。

 

子供の頃から今日まで一度たりともできたことがない。

 

かつて母は僕に

「逆上がりもできないなんて恥ずかしい」

「将来父親になった時に、逆上がりができないと自分の子供に笑われる」

と言った。

 

子供ながらに逆上がりができない自分は恥ずかしいんだという気持ちを背負うことになった。

 

しかし今になってこれはそんなに大したことではないと気がついた。

 

逆上がりができなくても僕にはできることが他に沢山ある。

 

僕は子供の頃、一輪車に乗るのが大好きだった。

最初は手すりに掴まって進み、ある時からちょっとだけ手を離してみる。そのうち勇気を出して数メートル先の手すりまで行ってみる。段々とその距離を伸ばすうちに何度も転んで膝を擦りむいたりする。お風呂に入るとそれがとても痛い。なのに次の日も一輪車に乗る。膝の傷が治りかけた頃に反対の膝を擦りむく。それでも僕は一輪車に乗り続け、いつしかどんなでこぼこ道でも不安を感じることなくスイスイと進むことができるようになっていた。あの頃は本当にどこにも掴まらずいつまでも乗っていられるような気がしていた。

そういえば僕の周りには僕と同じくらい一輪車に乗れる子が誰もいなかった。

 

あの時、みんなができることができない自分を恥ずかしいと思うより、みんなができないことをできる自分を認めてもらえる方がよかったな、と今は思える。

 

子供達に何かを伝える場面があるならば、僕はそういう気持ちを忘れないでいようと思う。

子供だけじゃない、社会に対してもそうだ。

 

母は昔は逆上がりができたんだろうが、今は太ってしまっておそらくできやしない。

しかし僕は逆上がりができない親を笑わない。

母もまた、僕にはできないいろんなことができるはずだから。

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