いつからか日本では政府も企業も学校も、あらゆる場面で「遺憾」という言葉が使われてきた。
しかもその多くは否定を意味する「いけない」を強めた「いかん!」と似たような意味合いで使われているように思う。
実際の「遺憾」の意味は「心残り、残念」である。
だから犯罪に対して「非常に遺憾」とか、外国の強行姿勢に「極めて遺憾」と言ってしまうのは「残念だ」と暗にそれを認めてしまっているように思う。
本当に良くないことならば抗議する姿勢も必要なはずだが、知ってか知らずか毎度のように「残念」で済ませてしまっている。