ソートベーカリー

小麦粉をこねてパンを焼くように、頭の中で考えたことを文章にしていきます。

地上波テレビパン

地上波テレビが次々と批判されている。

 

https://toyokeizai.net/articles/-/258634

 

料理が上手くない女性を笑い者にしたり、

勉強以外のことに無頓着な東大生を馬鹿にしたり、

障害者差別や人種差別が取り沙汰されたり…

 

確かに僕も今のテレビは程度が低すぎるように感じる。

もう8年間もテレビのない部屋で暮らしていて、ほとんど見る機会がなくなった。

年末年始親戚の家でついていたテレビ番組をいくつか見かけたが、本当にくだらなかった。

途中から入ってきた視聴者を取り逃がさない為だろうが、常に左上に説明テロップが表示されている。説明テロップそのものが番組名ということすらあった。

視聴者を馬鹿にしていると感じた。

 

以前こんなことがあった。

ラジオをつけると何かの話の途中だった。しかし数分聴き続けるとどうやらさっきまで、実際にあった振り込め詐欺の手口を紹介していたらしく、これからその対策について話すらしいことがわかってきた。

そう、僕らは数分あれば話の内容から前後を推測することができるのだ。

今のテレビは丁寧なテロップをつけて視聴者に合わせているつもりだろうが、そのテロップが考える機会を損ねているように思う。

意図的にそうしている可能性もあるが。

 

そして本題。

始めに紹介したような地上波テレビへの批判が最近あまりに多いように思えてきた。

その背景として「時代遅れの地上波テレビを批判する為に見ている人」が存在しているような気がする。

そういう人たちが「差別発言だ!」「傷ついた!」と叫ぶ機会を探しているように感じるのだ。

この揚げ足をとるだけの行為は全く意味がないので僕としては、

「そういうテレビを見ていることそのものが時代遅れだ」

という風潮にしてもいいのではと考える。

そうすれば、時代遅れのテレビにつっこむこと自体がダサいので誰もテレビを見たくなくなる。

すると、テレビというのは誰も見ていないのが当たり前なので顔色を伺うこともなく自由な番組作りをすることができる。

結果的にそれが好きな人だけを集めることができるような展開も起きるのではないか。

テレビに明るい未来があるとすればこの道じゃないだろうか。

 

Netflixの方が遥かに面白いけど。