ソートベーカリー

小麦粉をこねてパンを焼くように、頭の中で考えたことを文章にしていきます。

無政府主義パン

伊藤野枝に関する本を読んで更に気づいたことがある。

 

彼女の職業を紹介する時、よく「アナキスト(無政府主義者)」と称される。

無政府主義とは何か?辞書を引くと

すべての権威・権力をなくして、個人の自由をしばることのない社会を作ろうとする主義。

と書かれていた。

 

彼女の生き様として、無理やり嫁がされた家から夜逃げをして好きな人とくっついたというエピソードがある。もちろん明治時代では考えられない行為だ。

更に、結婚した女性が妻として旦那の為に家事や子育てに勤しむことにも異を唱える。好きなことをして良いはずだと。

当時、夫が妻以外の女性と関係を持つことは当たり前なのに、妻が夫以外の男性と関係を持つことは姦通罪という罪に問われていた。それもおかしいじゃないかと主張してきた人物だ。

 

何となく見えてきた。

反政権的な活動とも違い、世の中のあらゆる規則やルールから解放されることを目的としている。

資本主義社会における労働者について、安い賃金で働かされているにも関わらず、生活の為に辞めてしまうことも出来ず、たまにボーナスが入ることで逆に感謝すらしてしまう奴隷根性が育っていると書いている。

 

これは寧ろ明治大正に限らず平成が終わろうとする現代にも通じる言葉のようにも感じてしまう。

 

野枝の主張としては、夫婦にも労働者にも契約によって結ばれた主従関係があり、これが奴隷根性を作り出している。本当に必要なのは契約などなくても困っていたら互いに助け合える友人関係のようなものだということだ。

 

この時野枝がイメージしたのはミシンだという。ミシンは部品同士で歯車を合わせることで、単体ではなし得ない大きな働きを生むことができる。その動きに中心などはなく、個々がいつも誰かの役に立っている構図なのだ。

 

資本主義の都会に住んでいると忘れてしまいがちだが、田舎社会こそそれがうまく機能しているという。

困っている人がいたら声をかける。

子供が産まれたら近所のおばさん達が子育てを教えてくれる。

病気になったら誰かが医者を呼んでくれる。

悪いことをしたら説教をする人がいる。

このような田舎社会においては行政というものが必要なくなってしまう。相互扶助で全て成立するからだ。

 

なるほど、だから「無政府」なのか。

東京に暮らしていると人の優しさに触れることはまずないので、相互扶助で成り立つ社会は優しさに塗れていて幸せそうだと思う。

 

しかしもちろん不都合もあるだろう。狭いコミュニティだからこそ少しでも違うことをしてしまうと村八分にされてしまう恐れがある。それを避けようと臆病になるあまり、自分の意思で行動することができなくなる可能性も孕んでいる。

 

相互扶助は魅力的だが、無政府主義は難しい。

優しい人が社会に溢れることを願う。

 

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