人の名前について考える。
産まれたばかりの赤ちゃんの時、その人は名前を持っていない。
大抵の場合は親がその赤ちゃんに名前を与える。それは家族の一員の証である苗字とセットになってその子のものとなる。
子供はその成長過程で幾度となく名前を呼ばれる。産まれた時は持っていなかった名前が徐々に自分を示すものであることに気づいてくる。
幼稚園でも学校でもその名前で呼ばれ、先生にも友達にもその名前が認識される。
いつしか大人になり、初対面の人に自己紹介をする際にその名前を名乗る。
これが不思議だ。
自分が決めた訳でもなくいつのまにか自分に定着した名前を自ら他者に「田中一郎です」と伝えることが少し不思議だ。
当然名前を変える制度はあるし、今やペンネームやSNSのアカウント名を名乗ることもよくあることだとわかっているが、ここは本名の場合について考えたい。
田中家に生まれ一郎と名付けられたから田中一郎になっただけで、文化や制度や時代が違えばT-00016のようなシリアルナンバーが名前代わりだったかもしれないし、言葉で表せないマークで個人を特定していたかもしれない。
そんなのよりもやはり親が願いを込めて考え抜いた名前というのは価値があると思う。
この曲を聴くと親は子を思い、子は親を思うはずだ。