子供の教育と手話について勉強していて気がついたことがある。
乳幼児にとって世界のありとあらゆるものが初めましての存在で、見たり聞いたり触ったりしながらデータを蓄積して理解を深めていく。
「りんご」ひとつとっても、初めて見た時は赤くて丸かったのに次に出てきた時は三日月型で白っぽいものを口に入れたりする。だけど何度か出会いを重ねるうちに赤くて丸いものの内側が白くて甘いことがわかってくる。これが「りんご」なんだと理解する。
別の機会に「バナナ」にも出会う。黄色い皮や白くて柔らかい中味のデータを集めてこれを「バナナ」と呼ぶことがわかってくる。
更に食べる時間帯や絵本やスーパーの売り場などいろんな情報から、りんごやバナナはどうやら似たような仲間なんだということに気づく。大人達はそれを「くだもの」と呼んでいるな。
こうして子供は「りんご」や「バナナ」という名詞を手に入れた後に「くだもの」という抽象名詞を獲得していく。
ポイントはこの「くだもの」を理解する過程。
聴覚障害のある子供の場合、「りんご」や「バナナ」は見た目や味などで理解できてもそれらを「くだもの」と捉えることが難しいという。
何故なら「りんご」「バナナ」と違って「くだもの」は目に見えるものではないから大人は意外とここを教えることに気づき辛いのだとか。
例え誰も教えてくれなくても耳が聴こえる子は周りの大人が「くだもの」と言っているのを聴いて身につくことがあるが、聴こえない場合はその機会が単純に少ない。だから例えばギターやピアノを「がっき」、野球やテニスを「スポーツ」というようなジャンル分けを身につける手助けをしていかなくてはいけない。
少し別の話。
さっきはりんごやバナナを「くだもの」というジャンルにまとめる話だったけど、今度はその逆。りんごにも「ジョナゴールド」とか「シナノスイート」などの種類がある(ちなみに僕はシナノスイートが大好き)ように、りんごの中でも見た目が違うものも沢山ある。例えばシナノゴールドは確か皮が黄色い。味が酸っぱい種類のものもある。だけど僕はそれらも同じ「りんご」だと認識をしている。
もっとよく考えるとチワワとダルメシアンって全く違うのに僕はそれらが「犬」だってことを知っている。いつからだろう。チワワなんか「猫」の方が近いじゃん。
分類・種類・ジャンル、生きていく上でいつの間にか身についた能力なんだなと感じる。
ちなみに僕らは「りんご」と言われると赤くて丸いものをイメージするけど、視覚障害者はまず重さや硬さをイメージすると聞いたことがある。自分の当たり前は相手の当たり前ではない。