この頃は「偶然の出会い」が少なくなったなぁとつくづく思う。
それはコロナ禍に陥って益々拍車がかかっているのも実感する。
例えば本。これまで本屋や図書館で偶然見かけて手にとった本は数知れない。だけど今はどこかで知った本をピンポイントで検索してポチっと買えてしまう。他の商品もそう。偶然性のかけらもない。
ネットニュースやTwitterなどのSNSもそうかもしれない。自分が興味のあるものをフォローして見ていくという性質上、興味の範囲から距離の遠い情報には出会いづらいし、そこに触手が伸びることも少ないはずだ。
そして何より人と知り合えなくなった。
大学はリモート講義になったらしいけど、それじゃ僕の学生時代のようなたまたま隣の席にいた人とその後長く付き合うほどの友人関係になるなんてことは起こらなくなった訳だ。
各地のイベントやセミナーもオンラインで行われているようだけど、それもわざわざ行かずに聞きたい話が聞けるというメリットの裏側で、同じ関心を持つ同志と知り合い情報共有をするきっかけも失っていると思う。
知っている人ともなかなか会いづらくなったことで「コロナ別れ」なんて言葉も出てきたけど、そんな簡単に別れている場合じゃない。だって今は人と新しく知り合う可能性が著しく減っているんだから。
もう恋愛も仕事も友人関係も全てマッチングアプリに頼るしかないのか。
神社のおみくじのようにジャラジャラと振って出てきた棒を運命と受け入れるしかないのか。
いや待て、
そのマッチングアプリって本当にランダムに選ばれてるの?
自分の趣味や興味関心、仕事や活動範囲といった様々な情報から“合いそう”な人を選んでくれてるんじゃないのか。それって偶然の出会いって言えるのか。
AmazonでもNetflixでも、これまでに自分が興味を持ったものに関連するものをオススメしてくれる。その精度がなかなか良いからそれも思わずクリック。偶然出会えたように感じるけど結局のところ自分の興味の外に一歩も出られていなかったりする。
ここまで考えると少し怖くなってきた。
僕の身の回りに今どれだけ「偶然出会った」ものがあるだろう。
そしてこれから更に「偶然の出会い」が少なくなっていく世界の中で、いかにして「偶然の出会い」を自ら作れるか、作ろうとするかが問われているんじゃないだろうか。
“人間”として。