ソートベーカリー

小麦粉をこねてパンを焼くように、頭の中で考えたことを文章にしていきます。

2021年に産まれるパン

あけましておめでとうございます。

今年もソートベーカリーをよろしくお願いいたします。

 

今年は、妻が夏ごろに出産を控えているということで、これまで以上に気を引き締めて、責任感も倍増して日々生きていく所存でございます。

 

2か月程前に家族親戚に向け妊娠の報告をしましたところ、大喜びしてもらいました。

しかしその時のある言葉が僕の中で引っかかりました。

「ひろ君(仮名)に勝ったな」

ひろ君とは親しいいとこの兄ちゃんで、4年前に結婚しましたがまだ子供はいませんでした。

僕は即座に「こういうのは勝ち負けじゃないから」と返すと、

「いや本人には言わないよ」と笑ってお茶を濁されました。

 

僕も妻もちょうどその時妊娠について学び、どれだけ奇跡的なことかということを実感したばかりだったので、勝ち負けを言うべきじゃないというのは本心でした。

それにひろ君夫婦が子供を欲しがっていることも知っていたので尚更そんなことを言ってしまう親戚に驚きました。「本人には言わない」ということは、心の中ではまだ勝ち負けの基準を持っているということで、とても悲しい気持ちにさせられます。

 

今回はたまたま僕が「勝った」ことになりましたが、もし僕より後に結婚した別のいとこに先に子供ができたら僕は「負けた」ことにされるのかもしれません。絶対ありえない。

 

世代によって考え方が違うというのもわかります。

少し前までは、高校へ行き大学を出て企業に就職して結婚し子供が産まれマイホームを・・・と、いわゆる「一般的」とされる人生の路線が設定されていて、その一本道のどこに自分がいるか、その前後に誰がいるかを勝ち負けの基準にしていたんだと思います。

 

その道を基準に僕のことを「勝ち」と言われることで、今までの大学受験に失敗したり彼女も紹介せず結婚の予定も見せなかったりした僕のことを「負け」だと思ってたんだなと感じました。

 

しかし今はそんな時代じゃありません。人にはそれぞれ生き方があって、その選択の多様性を認めてもらえる世の中になってきています。いや、昔から自分はこうしたいという意思はあったはずで、「一般」の壁に抑えつけられてきたのかもしれません。

だからもう、そうやって誰かに生き方を決められることのない社会を僕らが作っていかなきゃいけません。

 

2021年に産まれてくる子供には自分の好きな道を、真っ直ぐでも曲がっても戻ってもいいので、誰にも邪魔されずに、しっかりと歩んでほしいのです。

f:id:mumusanopinojr:20210101085352j:image