ソートベーカリー

小麦粉をこねてパンを焼くように、頭の中で考えたことを文章にしていきます。

モモパン⑤

『モモ』から刺さった場面を紹介しています。

 

灰色の男が街を支配していく過程で、時間の節約に追われる大人達が話し合うシーンです。

 

大人に構って貰えない為、子供達が外で遊んでいることについて話し合っています。

「何とかしなくちゃ。今じゃ子供を十分に世話してやれるだけの時間が親にはないんだから。市当局はそのための対策を考えねばならん立場のはずだ」

「子供がうろちょろすると道路交通が妨げられる。事故が増えて、そのための支出がかさむ。もっと他にお金を使えるはずだ」

「放置された子供は堕落し非行に走る。市当局はこういう子供が野放しにならないよう、対策を講じるべきだ。施設を作って、社会の役に立つ有能な一員に教育しなくては」

 

大人達は自らが忙しなくして子供を放置していることを棚に上げ、行政に対策を求めるばかりです。しかも税金の使い道についてもすぐに批判をし、その上子供には大人達に都合の良い教育を受けさせようとします。

 

物語の中の話と切り捨てることはできません。これは完全に現代の話ではないでしょうか?

さらにこの後こう続きます。

 

「これからはコンピューターの時代になる。ところが今は子供達を明日の世界のために教育するどころか、あいもかわらず貴重な時間のほとんどを役にも立たない遊びに浪費させている」

といった考えから各地区に〈こどもの家〉が建てられ、面倒を見てくれる人のいない子は全員ここに収容されることになります。

〈こどもの家〉での遊びを決めるのは監督する大人で、それはなにか役に立つことを覚えさせるためのものばかり”とあります。そしてやれと命じられたことをいやいやながらやる毎日。次第に、好きなようにしていいと言われても今度は何をしたらいいかわからなくなってしまいます。

 

子供が純粋に楽しく遊んでいるものを取り上げ“役に立つこと”を教えようとしてはいないでしょうか?

今は幼いうちから英会話やプログラミングに慣れさせようとしたり、賢くなるようにと“知育玩具”を買い与えたりする話をよく聞きます。

けどそれは本当に子供の為になっているのでしょうか?

 

子供は遊びの中で社会性を育みます。

物の仕組みを見て工夫したり、他者との関わりを通してコミニュケーションを理解したりしていきます。

いやいや教えられる習い事よりも、様々なものに触れていって子供自身が心から好きになったものに一所懸命に打ち込む、その方が子供の人生を豊かにしてくれるのではないでしょうか。

自分で選んだ好きなものなら、辛いことや悲しいことに直面した時に乗り越える力にもなるでしょう。

子供の可能性を大人の都合で狭めないよう、気をつけて子育てしていきます。

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