ソートベーカリー

小麦粉をこねてパンを焼くように、頭の中で考えたことを文章にしていきます。

僕の生き方パン

ここ数ヶ月、僕の頭を悩ませていたことがある。

 

友人が今の仕事の話をしてくれたのが全ての始まりだった。

彼はブログを見せてくれた。いくつか読んでみるとつまるところどれも「行動しろ」と言っていた。世の中の多くのビジネス書がそうなる訳がわかった気がした。

 

その後、彼や彼の周辺の発信を見るとどうやら互いの肩書を収入で呼んでいた。「〇〇万稼いだ〇〇さん」みたいな。お金の価値がイコール人の価値になっていることに危うさを感じた。

 

そしてある僕の好きな人の対談を聞いていると、そこでは「俺はサラリーマンの何倍稼いだ、とかより、皆に毎月3万入ります、そして社会がそれでも生きていけるようになります、の方が優しいよね」と話されていて、強く共感した。

 

昔観た『ナイト・オン・ザ・プラネット』という映画の中の "Money... I need it, but not important."という台詞を思い出し、自分の立ち位置を確認した。

共同幻想論』の中で吉本隆明は、人類はこれまで様々な虚構を信じることで生きてきたことを書き、『サピエンス全史』の中でハラリは、貨幣という虚構を通して人類が世界を繋いだことを書いている。

このことからも「お金は重要でなく、必要なんだ」と強く意識しておきたい。

 

そこで自分はお金を稼ぐということをどう位置付けるか考える。答えは割とすぐに出た。世のため人のためになるかどうかだ。

前に勤めていた会社の商材の良さや必要性が自分で売っててよくわかっていなかった。これが誰かのためになっているとは思えなかったし、それどころかこういうもののせいで世の中が混迷していくのだと認識していた。

 

しかし今の仕事は違う。海外から輸入した玩具を売っていて、それが子供の成長にどんな影響を与えるか、どう必要とするのかを学び、お客さんに伝えていくことの重要性を実感している。

自分の仕事ぶりに満足はしてないが、頑張ることが誰かの未来に繋がっていると声を大にして言える自信がある。そうしてお金を得ることが「お金を稼ぐ」ということなのだと思うようになった。

 

そうなると友人の生き方が間違っているように感じてきた。彼はお金を指標にし、お金を目標にしていたからだ。自分より稼いでる人を尊敬し、自分も同じくらい稼ごうとしていた。

そしておかしなお金の使い方をしているのを見る度に、いつの間にか僕は彼を嫌うようになっていた。

 

そんなある日、僕は女友達と映画『プラダを着た悪魔』の話をした。僕は10年くらい前に観てたけど彼女は金曜ロードショーでやっていたのを初めて観たらしい。その時彼女は頑張っている主人公に対しボーイフレンドが「以前の君が良かった」と言ったシーンが許せないと言った。詳しく聞くとこう話してくれた。

「自分と相手の生き方や考え方が違っても、半端な知識で否定しちゃいけない。人間同士合わない部分はあって当然だし、自分の価値観を押し付けるべきじゃない」

 

これがグサッと刺さった。

僕は自分の価値観を固めたことで、それとは違う価値観を持つ友人を嫌いになりかけていた。

たとえ芯の部分で考え方が違ってもいいじゃないか。合わない部分で対立するんじゃなく、合う部分で楽しくやればいいやと気持ちが楽になった。

 

そして最近、朝井リョウの『スター』を読んだ。登場人物たちも僕と同じように自分とその他の価値観のズレに悩んでいた。そして辿り着いた結論が僕の中にも入ってきた。

自分が信念を持って取り組んでいることに、自信を持ってひたすら打ち込み続ける。

そこに他人がどうとかを入れる必要なんてないんだなと納得がいった。

 

そんな時ふとあの曲の歌詞が思い浮かんだ。

その花を咲かせることだけに一生懸命になればいい。

幾度となく聴いてきたはずの曲が、今まで聴いたことのない曲に聴こえた。

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