1940年公開のチャップリンの映画『独裁者』を観た。
子供の頃にチャップリンは何作か観たことがあったけど、大人になって改めて見てみるとやっぱり面白い!
ベタなネタも沢山あるが、逆さに飛ぶ飛行機で懐中時計がポケットから浮いて出てくる場面はとても手の込んだものだし、何よりも理髪師がブラームスの曲に合わせて髭剃りをするシーンなんかは特にチャップリンの「喜劇王」ぶりを遺憾なく発揮していて見事だった。
2022年の僕が見てもちゃんと楽しい映画になっていた。
その一方で、この映画ではタイトル通り独裁政権が猛威を振るう。権力者ヒンケルの一存でユダヤ人への仕打ちが酷くなっていくのは歴史が示す通りで見ていてつらくなる。たとえコミカルに表現されていたとしてもだ。
そしてヒンケルは隣国の独裁者ナパロニと会談するが、交渉は決裂する。この場面もコメディとして面白おかしく見せているが、実際の戦争もこんな風に互いのしょうもない見栄の張り合いが引き起こしていることだったりするなぁと考えてしまう。
そしてクライマックスの有名な演説シーン。
当時のヒトラーを批判して発せられたセリフであり、当然それは今のプーチンに向けられた言葉のようにも聞こえてくる。それだけでなく"機械のように"生活をする全ての人々へのメッセージともいえると思う。自分にもグサッとくる言葉だった。
後で調べてみると、チャップリンはデビュー当初は割と人種差別的なネタもしていたという。それは育ってきた社会そのものがそういう世界だったからだ。
最近の差別的な発言をした人を叩く流れを見ていると、それはそれで仕方がないんじゃないかと思えてくる。これは別に擁護したい訳じゃなく、その人がそういう環境で育ってきてしまったというだけのことなんだと思う。だけど今は物凄い速さで時代も考え方も変わっていってて、その変化に気づけなかったんだろうなと。だから指摘すべきところは指摘して、その後はアップデートしろよでいいじゃんと思うのだ。
チャップリンもまさにそうして戦争と共に考え方をアップデートしたからこそ、生活を脅かされる者たちの気持ちを代弁し、大衆から支持されるコメディアンになったんだろうな。
この映画はドイツなどの国々では公開を禁じられ、アメリカでも上映に対する抗議運動が起きたりしたという。
日本でも最近よく表現活動に対する抗議運動が起きるけど、やはりこういった禁じよう封じようという活動は間違った行為だよなぁと何度も首を振りながら考える。