今年の1月、鈴木結生氏の小説『ゲーテはすべてを言った』が第172回芥川賞を受賞した。
簡単にあらすじを記すと、
主人公はゲーテ研究の第一人者で大学教授の統一。結婚記念日に妻と娘と一緒にレストランへ行くとそこにいろんな偉人の名言が書かれた紅茶があり、統一が引いたのは偶然にもゲーテの名言で "Love does not confuse everything, but mixes." と書かれていた。
英文科の大学生である娘の徳歌はこれを「愛は全てを混乱させることなく混ぜ合わせる」と訳す。
これがゲーテ研究者の自分が今まで見たことのない言葉だったため、出典が気になる。
そして昔ドイツ人の友人から聞いた「ゲーテはすべてを言った」というジョークを思い出す。ドイツ人は何か名言っぽいことを言うときに「ゲーテ曰く」と前置きすることで説得力を増すんだ、という。
統一は「愛は全てを混淆せず、渾然となす」と訳してみて、自分の先生である義理の父・学や、同じ大学教授の然、大学生の娘・徳歌らと共にその言葉の源流を辿っていく、という物語。
この小説を読んで僕が考えたことを3点、書いていきたいと思う。
①ジャムとサラダと…グミ
作中で統一は「ジャムとサラダ理論」を提唱している。同じ「混ぜる」という行為でもドロッと溶け込んだものは「ジャム」、それぞれの形を保っているものは「サラダ」と分けていて、「世界は粥やジャムでできているのではない。固い食物を噛まねばならない」と考える。
ここで僕は数年前に大学時代の恩師と電話で話した際にドイツの有名なグミHARIBOの話になったことを思い出した。HARIBOといえば噛んだ時の固さが特徴的だが、あれは子供たちの噛む力つまり咀嚼力を鍛える目的なのだと教えてもらった。
この「咀嚼力」という言葉が僕の中では「自分の力で情報を理解する力」という意味に置き換わり、ファスト教養や要約AIなどが求められる昨今、こういうものばかりに頼っていると自分で嚙み砕いて飲み込む力が育たないのではないかと考えていた。これがまさに統一の「固い食物を噛まねば」という思想と重なっている。
さらに作中では大学教授の不祥事に対して「普段は離乳食しか受け付けないマスコミも食いついた」という表現があり、わかりやすいものに飛びつくメディアとそれを鵜吞みにする人々への批判が込められていたように思う。
ジャムや離乳食ばかりでなく、サラダやHARIBOを食べよう、歯を使おう。自分の歯で噛んで、味わって、飲み込む。この過程を大事にしたい。
②出典不明
この小説はゲーテの名言の出典がわからないという話だが、名言に限らずそれっぽく広まっているものは沢山あるのではないかと考えた。
例えば「ビー玉」という名前の語源として、"ラムネの栓に使われる完全な球体のガラスをA級品という意味で「A玉」といい、不完全で栓にならないものをB級品の玉「B玉」と呼んだ"という説があるがこれは全くのでたらめで、単純にガラス玉を表す「ビードロ玉」が次第に略されていったのが本当の語源だという。しかしどう考えてもラムネの栓の話の方が身近で雑学として広めたくなるからいつしか本当のように扱われるようになったのだ。
作中にレーニンの『何度もつかれる嘘はもはや真実である』という名言が引用されているように、全くの嘘でもSNSで何万回も拡散されることで正しく思えてしまうし、それを今度はAIが拾うことでこれまでなかった情報を作りあげることだって簡単になっていってしまう。
だからインパクトのある情報を鵜吞みにして拡散してしまうことは早くやめたほうがいい。「面白いなぁ」とか逆に「けしからん!」とか感情が動いた時こそ誰かに伝える前に一度立ち止まって調べてみるという警戒心が必要なのだ。
③小説の書き方
上に挙げた「作中の大学教授の不祥事」というのは、架空の学者の架空の論文を引用して自分の本に登場させているというものだった。
少し調べてみると2018年に本当に日本の学者が出した本の中で、架空の学者の架空の論文を引用したものがあり、当時大きな問題になっていたことがわかった。
ここから、創作が許されない「論文」と創作が許される「小説」について考えてみる。
著者鈴木結生氏は大学院生だ。当然様々な文献を調べ上げ自分の主張を組み上げた「論文」を書く機会もあるだろうに、彼は今回「小説」という形態を選んだ。それはまさに「小説」こそ事実と創作を"混淆する"ことができる媒体だからではないだろうか。
『ゲーテはすべてを言った』の中では様々な歴史的な人物や出来事や文学作品が挙げられる一方で、然教授の『神話力』や驢馬田種人の『新孔乙己』といった架空の作品も出てくる。ここをどう受け取るかがまさに読者の咀嚼力を試してきているようにすら思える。
そして何よりこの小説を書くには、題材となる「愛は全てを混淆せず、渾然となす」に似たような原文がゲーテの言葉には全くないということを予め確認しなければならない。当然他の有名な人物の言葉であっても使うことができない。
作中の統一のように言葉の出典を探す作業とは真逆で、鈴木結生氏にはこの言葉が"存在しないこと"を調べる作業があったはずだ。これは想像するだけで骨が折れる。だって「ゲーテはすべてを言った」のだから!しかもその過程は小説に活かすことができないことまで考えると頭が下がるばかりだ。
以上が僕が読書を通して考えたことだが、同じようなことをPodcast番組『ローテナントラジオ』でも話した。
ここでは友人と共に本の感想を3つずつ話し合う形式を取っている。
是非友人が気になった3つのポイントも聴いてみてもらえると嬉しい。





