ソートベーカリー

小麦粉をこねてパンを焼くように、頭の中で考えたことを文章にしていきます。

人目パン

僕の母は物凄く人目を気にする。

 

田舎町に住んでいるせいもあって、買い物に行くと必ず知り合いに会うし、どこの誰が何をしたかがすぐに広まるからだと思う。

 

子供の頃は外食することを嫌っていた。
お金の節約の為もあるが、知り合いに見られると「家事をサボっている」と思われるのではないかという強迫観念に苛まれていた。

 

それから長い年月が経ち、東京に住んでいる僕が久々に地元に帰った。
近所に住む従兄弟や祖母も揃って美味しい中華を食べに行こうということになった。
その時、母がまたこんなことを言った。

 

「車を駐車場の奥に停めて」

 

マジか。
東京で働く息子が久々に帰ってきて家族で集まって外食をすることを、停めてある車で他の人に知られるのが嫌なのだ。
どうかしてる。

 

確かに僕自身、この母親に育てられた実感がある。
僕も学生の頃から他人にどう思われているかを気にしすぎているきらいがあるのだ。
その自意識過剰が邪魔をして自分の意思を人に伝えることが苦手になっていた。
誰かの顔色を伺ってしか行動ができなかった。

 

恥ずかしながら今年になってようやくそれが無駄だということに気づけるようになり、少しずつではあるが自分の意見を持って主張できるようになってきた。

 

母は、人前では「母親らしく」
父の実家では「嫁さんらしく」
正月には「正月らしいことを」
など、「一般的である」ということを重視しすぎているところがあるんだと気づいた。

 

だから僕にも
高校を出たら大学へ
大学を出たら社会人へ
彼女はいつ連れてくるのか
など他人と同じ道筋を要求していたんだとわかってきた。

 

田舎町で生まれ、育ち、就職し、子育てをし、今に至る母は、地元から出て暮らしたことがない。
考え方が硬いのは当然かもしれない。

 

その上僕は大学から地元を離れて一人暮らしをしたり海外留学をしたり、本やネットから様々な情報を得ることもできてきた。
世界には想像できないほど無数の多様な考え方や価値観があることを知って、その度に自分の選択肢を増やしてきた。

 

今からでも遅くはない。
母に多様性を認めることも考えてもらいたい。
自分が正しいと決めつけてしまうのはあまりにも不幸だし迷惑でもある。
もちろん僕自身もそうで、これからも勉強をし、考え続けなければいけない。