ソートベーカリー

小麦粉をこねてパンを焼くように、頭の中で考えたことを文章にしていきます。

引き算の保育パン

前に羽田圭介芥川賞作品「スクラップ・アンド・ビルド」を読んだ時に知った考え方がある。

 

介護には「足し算の介護」と「引き算の介護」がある、ということだ。

 

「足し算の介護」とはつまり、老人に対して生活において必要な世話を全てしてあげることである。

それに対し「引き算の介護」とは、なるべく老人の生活に手を出さないで見守るだけなのだ。

 

これは決して冷たい態度なのではなく、援助を最低限のものに留め、老人が自分で自分の生活を過ごせるように手伝うリハビリの意味がある。

しかし前者のように何でも全て介護者が行なってしまうと自らの力で何もせずに済んでしまい本当にただ老いていくだけになってしまうのだ。

 

これと全く同じ状況を保育の現場で見ることがある。

 

子供たちに対して、ご飯を口に運んだりトイレに行かせたり、靴下を履かせたり手を洗わせたり、静かにさせたり昼寝をさせたり、とにかく何でも世話をしている保育は「足し算の保育」と呼べるだろう。

これでは保育士の仕事があまりにも多く大変であるのは当然だ。

 

ある園で僕が見たものはその逆だった。

外から帰ってきた子供たちは、脱いだ靴を自分の靴箱に戻し、自分で手洗い場に行って石鹸で手を洗い、トイレに行きたい子は自らトイレに行く。保育士が絵本を読むときは静かに集まって始まるのを待ち、食事の前には机に椅子を持ってきて、昼寝の時間には出したおもちゃを片付けてから午睡用ベッドに向かう。

これは子供たちが自分でできるように保育者が手を出しすぎない保育、つまり「引き算の保育」をした結果なのだった。

子供たちがしたいこと、すべきことをちゃんと自分でこなしていれば保育士の仕事は格段に減るはずだと思う。

 

介護士も保育士も足りない、仕事のキツさゆえになり手がいない、と言われるが、実は仕事をキツくしているのは自分たちかもしれない。

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