愛知県知事リコール運動に寄せられた署名の8割が不正に集められたものだったことが判明した。
更にその署名はバイトを雇って偽造されたものだということもわかってきた。
愛知署名問題 広告関連会社幹部「アルバイト集め書き写し」 | NHKニュース
ここで僕が考えたいことは、リコール運動の是非でもなければ署名偽造に誰が絡んだということでもない。
バイトとして仕事をした本人についてだ。
おそらく短期バイトの1つとして気軽に参加したのだろうと想像つくけど、やってて不審な点はなかったのだろうか?
他人の名前を署名欄に書き写すなんて、明らかに変じゃないか。
異変を感じたからといって何か騒ぎに巻き込まれるのは面倒だという気持ちが働いたのではないか。
そんなことより手元に入るお金の方が大切だったのかもしれない。
掘り下げていくとそういった問題が見えてくる。
コロナ禍を受けて収入が不安定な人が増えていることも要因にあるだろうか、生活に困っている人ほど仕事の内容よりも受け取れる報酬の方に目が行ってしまう。時給950円は決して充分な額ではないだろうけど、やらないよりはマシなのだ。
昨年末渋谷の路上で亡くなったホームレスの女性の話が度々僕の頭をよぎる。彼女は半年前までスーパーでパートをしていたという。コロナがなければ生き続けられた命のはずだ。
困窮の度合いはそれぞれ違うだろうけど、明日の生活もままならず、とにかく手っ取り早くお金が手に入る方法を探す人がいることは想像がつく。
そして集められたバイトが署名の偽造に関わった。
ここで思い出したのがドイツの哲学者ハンナ・アーレントのナチスに関する研究だ。
「言われたことをしただけ」何の疑問も持たず、ただ与えられた仕事をこなしてきた人達がユダヤ人を虐殺していた。
ホロコーストと全く同じ状況がそこに生じていたとすると、こんな恐ろしいことはない。
“自分の仕事はどこから受け取り、どこへ行くのか”
そういうことを考えながら働かなければ、それはただの流れ作業ロボットに過ぎない、いやロボットのパーツでしかない。
そして異変に気付いてからが問題だ。
おかしなことを「おかしい」と言えるだろうか。トラブル回避や上下関係を意識して「まあいいか」と受け流したりしていないだろうか。
僕にはそれが言えなかった場面がいくつもある。あの時ああ言っておけば…と後になって後悔してもどうしようもない。
思い切って言った経験もなくはない。だけどそこから好転した記憶はほぼない。
それでも本当は言わなきゃいけないんだろうな。
つい最近も五輪組織委員会の森喜朗の問題発言に会場で笑い声をあげた人達がいたことが話題になった。彼らの中にも本心で笑っていた人と、「おかしい」と思いながらも周りに合わせて笑っていた人がいたはずだ。
僕も考えた。うちの社長が大人数の前で笑いを取ろうと大袈裟な発言をした時に、自分はそこで「ダメですよ」と言えるだろうかと。無理だ。でも無理だけど、言わなきゃいけない。そういう話なんだと思う。
僕1人が考えてどうにかなる話じゃない。
難しいけど、みんなで少しずつ。