うちの親戚は昔からこぞって「ゲームは頭を悪くする」と言う。
確かに、何も考えずただ惰性ででき、中毒性のあるゲームは山ほどあるが、中にはむしろ考える力を育てるゲームもあるように思っている。
子供の生育過程において「知育玩具」という言葉が生まれ、流行り、支持されるようになってきた。
しかしこれは単に、子供を賢く育てたい親にうまくつけこんで、幼い頃からの早期教育を促して品物を売り込む商業主義の側面の方が大きいんじゃないかと感じている。
「知育玩具」なんか使わなくても子供は十分に育つ。与えられた教材よりも普段の遊びや実生活の体験から徐々に“気づく”ということが重要なのだ。
そう考える中で、ニンテンドーSwitchの「ゼルダの伝説 Breath of the wild」はまさにこの“気づき”の連続であった。
ゲームを進めるうちに、困り、考え、気づく、という過程が何度も訪れる。
しかもその道筋は必ずしも1つではなく、次に進めさえすれば全て正解なのだ。
これは現代の「答えを穴埋めさせる教育」に対するアンチテーゼとも言える。
これは、子供にゲームをやらせろと言っている訳では決してない。
ゼルダは大人になってからやればいい。
大事なのは体験を通して自分で考えて気づくことだ。
積み木がマジックテープなどで簡単に積み上げられるようでは工夫をする余地がない。
どの方向からでもくっつく磁石のおもちゃでは離れ合うという磁石の性質はわからない。
だから親戚の言葉に対してはこう返したい。
「自分で考える体験をなくすことが頭を悪くする」
そのゲームがどんなものか、やってみてから検討すればいい。