ソートベーカリー

小麦粉をこねてパンを焼くように、頭の中で考えたことを文章にしていきます。

成人パン

Netflix「世界の今をダイジェスト」の“不老不死は可能か?”を見た。

 

長生きはしたいが、ただ長生きするのではなく、一番良い時期を長く過ごしたい、というのが多くの人の望みだと思う。

 

長く生きてもその期間の生活を支えたり楽しんだりするお金がなければ仕方ないとも話していた。

 

そこでふと考える。

誰もが80歳、90歳、100歳まで生きられるようになった将来の世界で、60代70代の人が元気に仕事ができるようになれば「老人」という概念は後ろ倒しになるのだろうか?

そしてその時、子供が「成人」となる基準も同様後ろ倒しにしてみたらどうだろうか?

 

今、多くの国では18歳や20歳になると「成人」と呼ばれ、選挙権など責任の伴う権利を与えられる。この時期に高校や専門学校、大学を卒業して仕事に就くという人が多いと思う。

 

元々20歳を「成人」と設定する前の時代があるはずで、人類がもっと長く生きるようになったならばその設定を考え直すことが起きても当然ではないか。

 

この「成人」を後ろ倒しに設定してみると、例えば30歳までしっかりと勉強をして社会に出るというようなことが可能かもしれない。

つまり全体の基礎学力をもっと高くできるかもしれない。

そもそも働いている人口が増えている前提なので税金も教育に注ぐことができる。

学問や研究の機会を増やすことでさらに新しい分野が開拓されるだろうし、もしかするともっと長生きができるようになるのかもしれない。

 

そういえば元々平安時代などは10代から大人として扱われていたと思う。

となるとやはり「成人」の基準は後ろ倒しになっていくものだと言えるだろう。