どうしてもお笑いの話がしたくなっちゃう。
M-1の優勝ネタに賛否あるみたいだけど、お笑いの基本は“裏切り”なので、みんながミルクボーイのような会話劇を期待すればするほどマヂカルラブリーのような大暴れが面白く見えてくるんだよね。
ちょうど去年も、それまでみんなが「ボケたらツッコむ」と思っていたところで「ツッコ…ま…ない!」ぺこぱがウケた訳だし。
だから、もしマヂカルラブリーが好きじゃない人は、寧ろああいうネタを絶賛した方がいいんじゃないかな。
『M-1GP 2020』を観た。
いろんなところでいろんな人が出場コンビのネタの評論をしてるだろうからここでは全く違うことを書く。
「M-1はコンテストではない、コンテキストだ」
僕はオンエアバトルからお笑い好きになり、昔の番組を遡って見るほどだし、基本的にお笑いコンテストはチェックして過去のM-1の好きな場面は繰り返し見ているくらいのお笑いファンだ。
多分僕みたいなファンは沢山いて、それぞれ応援している芸人もいるだろうし、当然昨日のM-1を楽しみにしていた人がほとんどだと思う。
更に言うと毎年力の入ったオープニングVTRなどから、番組に関わるスタッフのお笑い熱も相当なものだとわかる。今年の舞台袖でマスクを外して臨戦態勢に入る姿を並べた演出には痺れた。
そして登場する芸人も当然漫才に人生をかけた生粋のお笑い好きなのは言うまでもない。
つまりM-1は名実共に「お笑い好きの、お笑い好きによる、お笑い好きの為の大会」となっている。
すると何が起こったかというと、そこまでお笑いへの熱が高くもなく、単に「年末の特番でいつもやってるよね」くらいの感覚でチャンネルを合わせた視聴者にはあまりにも伝わりづらくなってしまった。
予め知っておかないと文脈(コンテキスト)が掴めない場面がいくつもあったのだ。
①マヂカルラブリーの因縁
2017年の決勝で審査員の上沼恵美子がマヂカルラブリーのネタを酷評し怒鳴ったあの経緯を知らないと、登場時の「どうしても笑わせたい人がいる男です」の意味がわからない。
登場VTRで一部紹介されたものの、どんなやりとりがなされていたかを覚えているのはコアなお笑いファンだけだろう。
②ニューヨーク屋敷のツッコミ
2019年の決勝で松本人志が「笑いながらツッコむのが好きじゃない」と発言したことを受けて今年のネタはどうか、という流れがあり、これも出演者や熱心なファンはわかっているが一般視聴者には読み取りづらいところだった気がする。
③おいでやす小田とこがけん
必要とする予備知識は過去のM-1だけではない。ピン芸人のコンテストR-1グランプリの出場資格がこの度から芸歴10年以内と定められた為に突然行き場を失ったのがおいでやすこがの2人なのだ。しかもおいでやす小田に至ってはR-1決勝の常連として歴史を刻んできた立場だけに酷い仕打ちとすら言えてしまう。
彼らの登場時に一応紹介されはしたが、そんな軽いものじゃないことはお笑いファンでないと伝わらないだろう。
それ以外にも、オール巨人が審査員を降りたいと話していたことや、インディアンスが昨年ネタを間違えたこと、最終決戦で松本人志が投票したコンビが優勝していないこと、などなどこれまでの大会からのコンテキスト(文脈)が全体の盛り上がりに大きく影響していることがわかっていないと、どうしても低評価されてしまうのだ。
例えるならドラマやアニメの最新エピソードだけを見てる感じ。
どんなに面白くて評判がいいドラマでも、最新話だけ見ても人物関係がわからなくて楽しめない。エピソード単体としての展開は理解できるけど、その前の話からの繋がりはわからない。
M-1が面白くなかったと感じている人の多くはそこに起因していると思う。
でも大丈夫、それまでのエピソードを見ていなくても、また次のエピソードを見ればいい。すると前回から事実関係の繋がりが見えてきて、きっと自分なりの面白さを見つけられるようになるはずだから。
初めて見る人にも分かりやすいように説明をすべきだという意見もあるかと思う。
だけど、そうやって世の中が説明文だらけになった結果、誰もちゃんと説明を見ない状態になってたりもする。
『M-1』というお笑い好きが共通して楽しめる場は細かな説明もなく「お互いわかってるよね」という信頼関係で成り立っている、これがとても楽しいんだと僕は感じている。
『鬼滅の刃』が流行ってることは知ってる。
それを受けて世の中に様々な影響をもたらしているという。
菅首相の「全集中で答弁します」はその最たるものだろう。無意味な迎合はやめてほしい。
そんな中、幼稚園の劇まで『鬼滅の刃』の影響を受けているという。
どうやら岡山県の園で『桃太郎』をしようとした際に“子供達がやりたいと言って”桃太郎と炭治郎と仲間たちが力を合わせて鬼を退治する物語に作り替えたとか。
そうなるともう『鬼滅の刃』を観ておかないと幼稚園の劇に参加できなくなってしまう。
ファンが多い一方で、大人が見ても血が飛び交ってちょっと嫌だなという声もあり、僕の知り合いの小学生には気持ち悪くて見るのをやめた子もいるアニメだ。
映画もPG-12指定されており、保護者と一緒に観ることが勧められているくらいの作品が、幼稚園の段階で必修科目とされていることになかなか疑問を感じる。
そういったポイントをクリアした上で園がこれでいこうと判断したなら特に否定することもないけどちょっと不安はありそう。
というのも、この園に子供を預ける親が
「うちの子は鬼でした。誰もやる人がいなかったので」と話しているように、園児のほとんどが桃太郎や炭治郎などの“正義のヒーロー”になって悪である鬼を成敗したい気持ちの強さが現れているように感じるのだ。
これって、昨今の日本社会における不祥事を起こした芸能人を叩きまくったり、モラルのない一般人を特定して炎上させたりするアレな人々を育成していることになるんじゃないだろうか?
それは想像が飛躍しすぎだと言われるかもしれないが、正義を気取って悪を懲らしめることの気持ちよさに心酔しないようケアするのが大人の役目だと思う。そこまでしてるとは思えない。
1月8日、新年1発目の金曜ロードショーで放送される作品が『パラサイト 半地下の家族』に決まった。
そのネットニュースに対するYahooのコメント欄が面白い。
「パラサイト 半地下の家族」が地上波初放送!神木隆之介がオリジナル吹き替え<金曜ロードSHOW!>(ザテレビジョン) - Yahoo!ニュース
いくつか引用すると
面白いけど、新年早々家族で見る系の面白さではないなーってかんじ。
後味のいい話ではないし、人によっては胸糞悪くなるだけだと思う。
成人向けのシーンもあるし残酷なシーンもある。21時から地上波ノーカットなら、そういうシーンがある事は伝えておかないとダメ
観終わった後は、ズシリと重く暗い気持ちになりました。
エロいシーンは、家族団欒しながらテレビで観ると絶対気まずいでしょう。
お子さんが寝てからの方がいいですね
うちの子はまだ小さいけど、もし成人していたとしても親子で一緒に観るのは…私は気まずい
おもしろいが、濃厚なシーンを家で大学生の子と一緒に見たら気まずくなった。
家族で楽しめる映画ではないと思う。
テレビ放送されることに否定的な意見が多く、そのほとんどが「後味の悪さ」と「家庭での気まずさ」に終始していた。
まず、「後味の悪さ」を理由に否定する人はたとえ正月じゃなくても否定するでしょ。というかこれ、2020年1月10日公開だし。
そういう人は映画というものの作品の評価基準が「楽しかった」「スッキリした」しかないのではないか。だったら尚更ポンジュノ監督作品をもっと見るべきだ。スッキリしない、重たい社会問題を含みつつ、コメディもしっかり入れてくるこれこそまさにエンターテイメントなんだから。
エロいシーンが気まずいというのも、過剰反応でしかない。そんな具体的なシーンとは全く言えないし、もし心配なら家族で見た上で「あの場面は…」と話し合えばいい。映画のレーティングはPG-12、つまり「小学生以下の視聴には助言や指導が必要」な程度だ。同じPG-12の鬼滅の刃は平気で見せるのにパラサイトにここまで敏感になる必要は全くない。
むしろ、こんなにも後味悪く、気まずいと敬遠されてしまう作品にも関わらず、世界的に評価を受けて観た人に考えるきっかけを促す為に地上波放送を決定したことをもっと評価するべきじゃないだろうか?
子供の頃テレビで出会った数々の「難しくて、分からなくて、でも魅力的で、いろんな感情が生まれてくる、昔の名作」みたいなものが、近頃は放送されなくなってきたなと感じていた。
今の子供達にも「なんだこの映画は!?」と感じられる時間になればいいと思う。その上でエロいシーンや気持ち悪いシーンについては側にいる大人がちゃんと話して聞かせればいいんじゃないだろうか。
いろいろ調べてみると、1月1日からNetflixでも配信されるのね。しかも白黒バージョンも。
僕はそっちで観まーす。
僕は普段演劇を観に行く人間じゃないんだけど、それでもずーっと楽しみにしていた作品がこの『くちづけ』だ。
5月の連休中に映画版を観て感動し、ラジオで舞台が行われたことを後から知って、映像配信を楽しみにしていて、今日遂にそれを見届けた。
だから僕はこのストーリー自体はもう知っていたんだけど、はっきり言って映画版の何倍も大爆笑して、何倍も大泣きした。
自宅のリビングの真ん中で笑い転げ、力なく椅子に寄りかかってハンカチで涙を拭いての繰り返しだった。大袈裟じゃなくマジで。
知的障害者を扱った作品ではあるけれど、そこで繰り広げられる出来事や会話は全て障害者とか健常者とか関係なく「人間」の話だよなと考えさせられる場面がいくつもあった。
僕はこういう、笑いの後に涙が来て、自分の価値観すらも揺さぶられる感情のジェットコースターが大好きだ。
そして観終えた後はぐったり放心状態。それだけ最高の作品だったということ。
泣けるかな、難しくないかなとか思う必要は全くない。「何か大笑いしたいな」って気持ちで観てほしい。そこにどんなメッセージを受け取るかは人それぞれだから。
僕なんか幕後のエンディングで大泣きしてた。
その理由は、これだけ凄い演劇をやっているのに、コロナ禍で上演するかどうか、客はどこまで入れるべきか、とてつもなく悩んだだろうなということまで考えてしまったからだ。
受け取り方は人それぞれ、ただ大笑いできることは間違いないので是非おすすめします!
電車や街中でたまに「うわぁ」って思うおばちゃんを見かける度に思うことがある。
大声で話していたり、態度がでかいおばちゃんってたまにいて、遭遇するだけでちょっと疲れてくる。
だけど、これは実はそのおばちゃんが全く知らない人だからそう感じるんだなと最近わかってきた。
僕には仕事やプライベートで知っているおばちゃんが何人かいて、それぞれがいい人だしみんな普通に生活を送っている。
しかし、もしこの人達と知り合いじゃなく街でたまたま同じ場所にいたらこの声量が気になるかもしれないし、尊大な態度に感じるのかもしれないのだ。
おばちゃんに限らず不快に感じる人と街中で出会うことはあると思うんだけど、もしその人と知り合いだったらこんなこと思わないかもなと心に留めておきたい。
女性芸人だけのお笑いコンテスト『THE W』を観た。
番組中に優勝者への特典として日本テレビの数々の人気番組出演が発表されていたけど、そもそも、自分たちで「人気」番組って言ってることに違和感があった。僕の知る限りみんなの人気者は自分で「人気者でーす!」とは言ってないんだけどなぁ。「私はこんなにフォロワーがいます」って言ってる人をフォローしたくはならない。
そしてその出演予定の人気番組の全部が全部、出たい番組とは限らないんじゃないだろうか?
もちろん芸人として売れてバイトしなくても食べていけることは目標だろうけど、やたらめったら番組に出されるよりも、自分のキャラクターを活かせる場に出たいものじゃないのだろうか。それはもしかすると日テレ以外の局の番組ということもあるかもしれない。なのに優勝直後からこんなにも日テレの番組に”囲われて”しまっては他局のオファーも受けられないだろう。
この扱いに既視感があるのは多分りんごちゃんだろうな。
当時も何かといろんな番組に引っ張りだこにしておいて、徐々に出演を減らして次の人気者に乗り換えていく感じ。こういう扱いになることが目に見えている。
もちろん優勝した吉住が出たい番組ならどんどん出演していけばいいのだけれども、日テレのこのやり方に違和感があるから、自分のペースで出演を見送ることもしていいはずなのだ。だって優勝特典には「日テレ人気番組出演権」とあるのだから、権利は放棄したっていい!