ソートベーカリー

小麦粉をこねてパンを焼くように、頭の中で考えたことを文章にしていきます。

価値観が柔らかいパン

昨日の最後の方で、親の子育てについての不安な気持ちが虐待に繋がっていると書いた。

 

先週は、子供がいろんなことに夢中になって挑戦する為に、大人が見守って安心感を与えることが大切だとも書いた。

 

大人も子供も同じ人間。

安心できる快適な環境が必要だし、不安な気持ちが溜まると自分でも予期せぬ行動をしてしまう。

 

僕にもそんなことがあった。

毎日が充実していて将来もポジティブに考えていた中で不安のどん底に落とされた。

 

僕は子供の頃から親に決められてばかりだった。

自分のしたいことや希望があっても親が都合や何かしら理由をつけて否定されてきた。

あらゆる決定権が親にあった。

 

ある時から自分で選んだもの決めたことの方が良い結果を招いていることに気付き始めた。

それからは自分で決めることにこだわり、誰かに何かを決められることに対しては敏感すぎるほどになってしまったと思う。

 

しかしこの期に及んでまだ「こうすべきだ」「普通こうだ」「常識だ」という凝り固まった価値観を押し付けられることに辟易としている。

 

僕は実家を離れてからいろんな人と出会いいろんな文化に触れてきた。まだまだ知らないことも沢山あるだろう。

その間親はずっと同じ町の小さなコミュニティの中だけで暮らしてきた。

そこに価値観の違いが生じるのは当然だと思う。

僕の方がアイデアの選択肢が多いのだ。

しかし彼らはそれを認めてくれない。親の言うことが絶対で、逆らうことは許されない。

 

当たり前だが僕は逆らいたい訳ではない。

こういう考えもあるよと提案しているだけ。

価値観の多様性を認めて、柔軟に考えることが人間には必要だと思っている。

 

そして、こんなにも考えの固い親をこれからも相手しなければならない。

将来僕と結婚をした人が「嫁としてこうすべき」みたいなことを押し付けられることも容易に想像できる。

ここから逃れられないということを自覚した時、目から涙が溢れてしまった。

不安が限界に達した。