電車でのこと。座っていた女性が一人の女性に声をかけて席を譲っていた。
譲られた女性はカバンにマタニティマークをつけていた。
車内でそのマークに気づいたのはその人だけで、ほとんどの乗客はスマホを見ているか寝ているだけだった。
席を譲った女性は吊革に捕まって立っていた。
この様子を見て、つくづく「気づく人は辛いなぁ」って思ってしまう。
少しだけ掘り下げると
1.マタニティマークが何かという“知識がある”
2.目の前にそのマークがあることに“気づく”
3.即座に声をかける“行動力がある”
2がなければ3は起こりえないし
1がなければ2も起こりえない。
困っている人はどこにでも沢山いる。
障害を持った人、災害に遭った人、
事件事故に巻き込まれた人、外国からやってきた人、お金がない人、仕事がない人、元気がない人、もっと大きいことからもっと小さなことまで、僕が思いつかないところで困っている人がいるはず。
だけど知識がないとそういう人がいることに気づくことすらできない。
結果として「自分さえ良ければいい」考えになってしまう。だからもっと勉強して本読んで知識を増やして困ってる人のことを知らなきゃいけないんだって思う。
知識があっても気づけなければ意味はない。
電車の乗客のほとんどはマタニティマークくらいは知ってたはず。でも気づいたのはあの女性だけだった。
もしかするとあの人が妊婦の立場を経験したことがあったから気づけたのかもしれないが、それにしてもみんなもう少しだけ周りを気にした方がいいと思う。自分だけの世界じゃないんだから。
とはいえ全部に気づくことは不可能だから、ほんの少しずつ、自分の周りに関して『気づく率』を高めていけたらいい。自分の行動で誰かが困るんじゃないか、または誰かが助かるんじゃないか、そうやって意識していけたらいいなと思う。自戒の念も込めて。
そうやって気づけても行動しなければ何も変わらない。
よくSNSで流れてくる「感動のエピソード」とか「神対応!」とか「名言」とかに対して、
「いいね」「涙が出てきました」「シェアさせて頂きます」とか言ってる人を見るが、自分がやればいいじゃんって思う。
知り合いでもない人の行動を称賛するのが流行ってるけど、目の前に困ってる人がいてもスマホの画面見てたら行動なんてできっこない。
じゃあお前はどうなんだって言われるかもしれないけど、僕のことは、ま、気にしないで。