以前行ったエストニア一人旅を絡めて様々なことを書いてみる。
まず、エストニアって何処?って必ず聞かれるくらい認知度が低い。
「バルト三国?」と言える人はたまにいるけど、その三国が言えなかったりする。
高校の世界史の先生から教わった覚え方がある。
頭文字を取って「フェラーリ」と。
もう覚えたはず。テストに出るぞ〜。
そんなエストニアの首都はタリン。
Googleで「エストニア タリン」で画像検索するとあなたはもうここに行きたくて仕方なくなるはず!僕もそうだった。
次に、エストニアを調べて出てきたキーワードが「IT大国」。そもそも聞き慣れないエストニアという国においてITが優れているイメージはあまりないと思う。
しかしこのタリンという街からSkypeが生まれたと聞くだけでその印象は一変する。
更に日本のマイナンバーカードのような身分証明制度が既に浸透していたり、小学校でプログラミングの授業があるというので本当にIT大国なのだろう。
だが僕は一つの疑問を感じていた。
今は東京に住んでいるが地元はかなりの田舎。そんなに地元愛が強い訳ではないが年に数回実家に帰る。
東京という街はすさまじいスピードで変わっていく。上京した初日に食べた蕎麦屋はなくなっているし、先月までなかったマンションがいつの間にか建っている。最寄駅のホームも姿が変わったし、都知事も交代した。次から次へと新しいものが生まれる。
一方僕はある日地元に帰った。隣の県に用事があったのでそこから電車に乗って地元の駅に降りた。しかしその駅ではICカードが使えなかった。
僕の地元は確かに田舎だが、その駅は決してローカル線ではなく近隣の県をいくつか跨ぐ路線の中の一駅で、1日の利用者はのべ2000人を超えるくらいの規模だ。そんな駅でICカードがまだ使えないということに驚きを隠せない。
おそらく、この駅の利用者の多くは駅員に“見せる”タイプの定期券を持っていて、毎日利用する人はそれに不便を感じていないし、たまにしか利用しないほんの少数の人が切符を買う程度なのだ。改札を設置する必要がない。
実家に着く。家の周りは10年以上前から何も変わらない。近所の人たちも変わらない、歳をとったようにすら見えない。家族の考え方も変わらない。どこにでも昔の思い出が転がり続けている。
そう、2020年の五輪に向けて日々変わりゆく東京と、僕が住み始めた1998年頃からほとんど何も変わらない地元。感覚としてその差は広がりつつある。
ではエストニアはどうなんだろう?
世界規模のIT大国として注目を集めるこの国の田舎はどうなんだろう?
首都タリンとのギャップはあるのか?
僕はそれを肌で感じたくてエストニアに行くことにした。