以前マチュピチュの調査番組を見ました。
この古代都市の中には石垣にわざと穴を開けておいて、そこから差す太陽光によって季節を測る天文学のような仕組みも作られていたそうです。
その番組を見ていると、そもそもここに岩を運び込んでこれだけの建造を成し遂げるのに一体何人が関わったのか、そして一体どうやって全員の“意思疎通”を謀ったのかが気になってしまいました。
建設予定がわかってない人がいたら作業が進まないのに、メールで周知するどころか図形を示す方法すらない中でどうやって指揮していたのでしょうか。
先の天文学以外に、水道の仕組みもあったといいます。
やっぱり昔の人は凄いんじゃないか。どうしてそんなことができたのか考えてみると、1つ思いつきました。
多分、空や水や森以外に情報が何もなかったんじゃないかと。
太陽を毎日見ていると少しずつ道筋が動いていることに気がついて、それが季節の周期と一致していることがわかったのではないでしょうか。
そう考えると今、2020年という時代において、僕らは知らないことはすぐに調べられるようになり、必要不必要に関わらずありとあらゆる情報がいろんな画面から飛び込んでくるようになりました。
じっくりと観察したり経験を積み重ねて“発見”するという体験はインカの人々と比べてかなり劣っているような気がします。
たまたま読んだ井上陽水のインタビューで、進化に反比例して人間の幸福度が減る、と言っていました。
NHK『100分de名著』の「ピノッキオの冒険」の回でも、産業革命の時代に自分のペースで働くことができなくなる辛さ、という話が出てきました。
人間はもしかすると大昔の方がより“人間的”だったのかもしれませんね。