ソートベーカリー

小麦粉をこねてパンを焼くように、頭の中で考えたことを文章にしていきます。

手話パン

最近手話の勉強を始めた。

始めたというだけで、披露できるものでもなく、むしろ疲労になるレベルの低さだが、とりあえず一歩ずつ覚えていくつもりでいる。

 

元々母親が手話を勉強していた人で、僕も子供の頃少しだけ教わったことがあった。

今になって自ら勉強しようと思った時に既に知っている表現がいくつかあるというだけでかなり嬉しい。母親に感謝。

 

その母親は子供の頃、たまたまラジオから流れてきた永六輔の手話の話をなんとなく聞いて、言われるがままに手を動かして手話の存在とその面白さに目覚めたという。母も凄いがラジオで手話を子供に理解させた永六輔の話術も凄い。

 

僕はというと生まれつき耳が聞こえない人と知り合う機会がきっかけである。もちろん文字を書いたりスマホに打ち込んだりしてやり取りをしてもいいのだが、それは手段の一つに過ぎず、手話の方がスムーズにコミュニケーションが取れるならそれを覚えておくに越したことはないと思ったからだ。

映画「湯を沸かすほどの熱い愛」のシーンで女の子が町中で聾の人と手話で会話していたのを思い出した。いつどこで役に立つかわからないが、知っておくのは良いことだと思う。

 

僕としては手話を覚えることは、英語やドイツ語を勉強することとあまり変わらないものだと捉えている。

ドイツ語を覚えてドイツ人とコミュニケーションが取れるようになるのと同じように、手話を覚えると聾の人とコミュニケーションが取れる。話せる相手が増えると当然それだけ様々な意見が受け取れ、発見も増える。

自分が知らない世界の人のことを知ることができるのはただただ素晴らしい。

 

更に教わったこととして、手話が使えると例えば駅のホームとホームを挟んで大声を出さずに会話ができたり、キューバダイビングの時に感動を共有することができる。便利。

 

できるようになってから言えと言われるだろうが、みんな手話を習った方がいい。必修科目だ!

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