毎日のブログ更新を始めてからもうすぐ1年になる。
毎日となると流石に内容に困ることもある。
そんな時スマホがあるといろいろ便利で、世の中の情報が次々と入ってくる。
だけどそればかりに頼ってはいけないなと自制する気持ちも同時に持っていたい。
新聞や本や雑誌から気づいたことでもいい。
人と話して考えたことでもいい。
とにかく受動ではなく能動的な姿勢を忘れないようにしたい。
その究極の形は“実際に行く”ことだと思う。
あいちトリエンナーレだってよくわかってなかったけど行ってみたら自分なりに思うところが生まれ、具体的な意見を持てるようになった。
そうやって実体験の大切さを学んだ今、行ってもないのに辺野古の埋め立ての賛否とか、香港の情勢とかあーだこーだ言えないなと反省する。
ただし、それでも人は“優しさ”という武器を持っていると思っている。
実際にそこに行けなくても、頭の中で旅をすることはできると思っている。
つまりその場の人々が苦しむ気持ちや悲しむ気持ちを理解するということ。そしてそれらは一人ひとり個人の事情によっても異なるはず。だからこそそれらの思いをなるべく多く拾い集めようとすることが、明日の平和を作るための近道になるんじゃないだろうか。
それは決して“正義感”なんてものじゃないってことも付け加えておきたい。
ある一方だけの思いを代表して振りかざす正義は、また別の苦しみ悲しみを生むだけだから。