お笑い芸人のネタが黒人差別だとかでネットで炎上してる。
肌の色をネタにすることが危ういことだってのも、黒人が蔑視されてきた歴史があることもわかってるけど、何でそんなに騒いでるのかがわからない。
「謝れ」とか「差別だ!」って言ってる人は誰なの?
今回その芸人に怒っていいのは、ネタで名前を出された本人だけでしょ。
「この芸人がこんなことを言っていた」って誰かが上げたSNSを見て、
「こんな差別発言があった」ってメディアが拡散して、
怒りのぶつけ先を探してる人を焚きつけて、
「これは酷い!」「差別だ!」って騒ぎ立てることで、
本来知る由もなかった本人に届いてしまうんじゃないかな。
無料で観れるイベントでこのネタをしたことは芸人側のミスだとしても、見てない人がそのネタを批判する理由はどこにもないと思うんだ。
ましてや謝罪文を出す必要なんかないって。
だって怒ってる人達はただ怒りたいだけ・正義をかざしたいだけなんだもの。
今回の件でもう一つ浮き上がったことがある。
いくらかの人が「それに比べてサンドウィッチマンのネタは誰も傷つかないで楽しめる」とナンバーワン人気芸人を引き合いに出していた。
「誰も傷つかないネタ」??
サンドウィッチマンが面白いことは認めるけど、誰も傷つかないことが良しとされるのは納得がいかない。
お笑いにしても音楽にしても絵画や彫刻にしても、全ての芸術、アートは何かしら作りての思いを内包しているものだと思う。
そしてそれが真に「芸術」と呼ばれるには、見た人触れた人の心をざわつかせる何かが必要じゃないかとも思っている。
だけど今世間で求められているのは、サンドウィッチマンのような“誰も傷つかない笑い”や恋愛ソングのような“当たり障りのない音楽”ばかり。
賛否の議論を起こすような作品は「あってはいけないもの」として葬り去られてしまう。あいちトリエンナーレなんてまさにそんな扱いを受けている。
国家の検閲はあってはならないけど、それ以上に恐いのは「民衆の検閲」だと思う。
誰かが出した作品に対してろくに議論もせずに蓋をしてしまうことがあまりにも多い。
心がざわつくことは不安だもんね。
突然ですが、この絵画は何を描いたものでしょう?
これは「今日の晩御飯どうしよう~。あ、宝くじ!当たったかな~?」の絵。
なぜそんなしょうもない題材の絵がこんな立派な額に入れられて、ウィーンの有名な美術館に飾られているのか。それは芸術に対する検閲が厳しく政府を批判する作品がことごとく抹殺されていたという時代背景を象徴しているから。
誰も傷つかない笑いもあってもいい。だけど、それはお笑いの数あるジャンルの中の一部で結構。じゃないとこの絵のようなしょうもない作品ばかりが発表されてつまんない世界になるんじゃないかな。
もっともっといろんな笑い・音楽・アートに触れていろんなことを考えるべきじゃない?既にこの国には何も考えなくていいものがあまりに多いよ。
あとさ、サンドウィッチマンのネタ、本当に誰も傷ついてないの?
自分が見てないだけなんじゃないの?