宇野常寛著『遅いインターネット』の中で、これまでは「読む」ことが日常で「書く」ことは非日常だったのが今は逆で、誰でも「書く」ことが日常になっている、と書かれている。
そしてその上で、本当に価値のあるものを「書く」ためにはやはり「読む」ことが必要だと続く。
しかしただ読んでマルかバツか判定するのではなく、
対象を「読む」ことで得られたものから、自分で問題を設定すること
が大事だと書かれている。
読んですぐ答えるのではなく、読んだ後考えて頭の中の様々と組み合わせて新たに問いを立てる書き方をしなくてはならないのだと。
ちなみにここでの「読む」は必ずしも文章を読むことに限らず、「見る」「聞く」「触る」「感じる」などの受信機能全般を意味するのだと僕は受け止めている。
そこで考えるのはつい先日Twitterで話題になった「#Amazonプライム解約運動」について。
国際政治学者でかつAmazonプライムのCMに出演する三浦瑠璃の政治意見に反対する人たちによって始まった運動らしいが、どちらかというと勢いに乗せられて怒っているだけで冷静な批判はほとんど見受けられない。
その三浦瑠璃の意見というのがどうやら「徴兵制導入」だという。
一見すると恐ろしい話のようだが、意図としては国民が戦争を自分事として受け止めることが実際の戦争を引き起こさないことに繋がるんじゃないかという提案だ。
もちろんこれはただの“案”で良い面も悪い面もあるかもしれないが、これまでの「戦争反対」だけの中身を伴わない話から一歩踏み込みまさに新しく問題設定したのに過ぎないのではないか。
だからこれに対する正しい反応は、「俺は良いと思うよ、こんなこともあるだろうし」または「いや違うね、こんなことになったらどうするんだ」と議論をするということだろう。
「徴兵制」というワードに引っ張られて「戦争をしたいのか!」と怒っている人はまさに上の「読む」ができていない。「私は中身は見ません」と宣言しているようなものだ。
そしてAmazonプライムの解約に向かうのも意味がわからない。たとえ三浦瑠璃の意見に反対でもAmazonプライムのサービスとは何の関係もない。サービスの質で自分の行動を決めたらいいのに…。
そしてなんだかわからないけど良くないらしいから「#解約」に乗っちゃう人。この人も「読む」ことができていない。
本当に「読む」前に「書く」が人々の中に根付いているということを実感した。
一旦「読む」そして新しい問いを「書く」これを常に意識していきたい。