子供の頃から「ウソをついてはいけない」と強く教わってきた。
おかげで僕は本当に言わなくていいことまで真っ正直に言ってしまってわざわざ相手を傷つけてしまうことがよくある。最近もあった。
ウソをつく人をキツく追及してしまうこともよくあった。逆の立場なら嫌だろうな。
自分が正直者の道を突き進んでいる分だけ相手のウソが許せなくなるのだ。
これって最近言われる「自粛警察」と同じ心理状態だよね。俺は自粛してるんだからお前もしろよ、みたいな。
僕は絶対“自粛警察予備軍”くらいの素質があると自覚している。
そんな中あるコラムと出会った。そこには
そもそもウソってそんなに悪いこと?
と書かれていた。
否定せずに肯定していいウソもきっと沢山あるはず。そして本当にダメなウソの時は、ウソをつかなければいけない原因そのものがきっと問題なのです。
そんな視点で考えたことがなかった。
なぜこの人はこんなウソをついたのか、それをもっと考えられるようになりたいと思った。
そしてこのコラムはこう続く
生きていく中で、ウソをつかなければいけない、ついた方がいいという場面に、誰しも何回も出会うはずです。その時に、何のためにつくウソなのか、そのウソをつく自分を自分で許せるのかを見誤らなければ、きっと大丈夫。
これを読んで「ウソはいけない」と信じ込んでいた僕の考えが一気に解れた。大事な人を傷つけない為のウソは必要なのかもしれない。しかしそのウソは慎重に、自分を鏡で見つめながらつくウソなのだと心に刻んでおく。