ソートベーカリー

小麦粉をこねてパンを焼くように、頭の中で考えたことを文章にしていきます。

タピオカパン

タピオカミルクティーが流行っている。

 

僕は“飲んだことありますよ”程度だが、あの食感が好きな人の気持ちもよくわかる。

 

タピオカのことを否定したい訳じゃなくて

僕が今一番言いたいことはこれだ

 

 

 

ナタデココはどこへ消えた!?

 

 

 

一時期はブームを起こしたはずのナタデココの居場所がどこにもない。

割と近所のスーパーを隅々まで見たが置かれていない。だいたい果物の缶詰とかの近くだよねあるとしたら。

たまたまその店になかっただけということも考えられるが、わざわざ店員に尋ねる程のことでもないという自覚は持っている。

 

僕はタピオカよりもナタデココが恋しい。

あの食感と再会できる日を待ち望んでいる。

あ、UFOパン

電車など公共の場で赤ちゃんや子供が泣き喚いた時、自分はどうするだろうと考える。

 

少し前にTwitterで、

「泣き叫ぶ赤ちゃんに他人は何をしてあげられるか」

ということが話題になっていた。

 

まず、このことを考えるきっかけが生まれたことだけでも凄く良いと思う。

更にこのツイート主の方は、自分は迷惑だと思っていないことをなんとか伝えたいという思いから発信したらしく、その気持ちをみんなが持ってくれたら何も問題なんてないのになぁと思ったりした。

 

この件の一連の流れでは、女子高生がアンパンマンの動画を見せたことで赤ちゃんが泣き止んだという話だったが、僕としてはこれはあまりオススメしたくない。

泣いている赤ちゃんは何かを一生懸命伝えようとしている。そこにアンパンマンを見せることは、ただ別のことに気をそらせてしまっているだけで何も解決はしていないのではないだろうか。

アンパンマンだけでなく、おもちゃやお菓子を与えることも同じで、その瞬間だけ違うものに気持ちが向いただけですぐに戻ってくると思う。

 

僕らが一生懸命何かを話している時に「あ、UFO!」と後方の空を指さされるような感覚だ。一瞬気が散るが、すぐに戻る。

 

ではこんなシチュエーションの時どうするか、を考えてみる。

先程述べたように赤ちゃんは泣いて何かを伝えようとしている。それはほとんどの場合「不安感」だと思う。もしかしたら慣れない電車に乗って気持ちが落ち着かないのかもしれない。

そしてその不安を解消してあげられるのは他人ではなく親などの保護者だろう。初対面の人に対して安心なんてできないのは大人も子供も同じだと思う。

 

赤ちゃんの不安を取り去るのは親にしかできない。お母さんの顔が見たいのかもしれないし、優しくさすってほしいのかもしれない。

 

しかしそんな瞬間に件のエピソードのように母親が以前叱られた経験から、周りの人に対して申し訳なさそうにオロオロしてしまうこともあるだろう。

 

子供が不安を感じて見上げた唯一の救いの存在であるはずの人が、目の前で不安の表情をしていては安心なんてできやしない。

 

だからこそ、周りの人にできることは、

赤ちゃんの親を安心させること

ではないだろうか。

 

そこにはなにも専門的な知識は要らない。

「何ヶ月目ですか?」とか

「大丈夫ですよ」とか

気軽に声をかけてかけてあげるだけでいい。

「周りは気にしないで赤ちゃんだけを見てあげてくださいね」と伝えるだけでその親が安心してくれれば、自然と赤ちゃんも安心すると思う。

 

東京に住んでいて思うが日々の生活は忙しい。

子供を持たない人が子供のことを考える機会はほとんどないと思う。

多くの人は親になって初めて子供の成長について調べたり知ったりするだろう。

だけど子供はとっても大切な存在だ。

結婚してなくても、子供を持つ気がなくても、誰もが子供の気持ちや成長について考える機会を持つことが社会全体にとって必要ではないだろうか。

学校の必修科目にしてしまえばいいとも言えないが、全員がある程度の知識を持てる基盤が整えば、もっと子供に優しい社会の空気が作られるような気がしている。

価値観が柔らかいパン

昨日の最後の方で、親の子育てについての不安な気持ちが虐待に繋がっていると書いた。

 

先週は、子供がいろんなことに夢中になって挑戦する為に、大人が見守って安心感を与えることが大切だとも書いた。

 

大人も子供も同じ人間。

安心できる快適な環境が必要だし、不安な気持ちが溜まると自分でも予期せぬ行動をしてしまう。

 

僕にもそんなことがあった。

毎日が充実していて将来もポジティブに考えていた中で不安のどん底に落とされた。

 

僕は子供の頃から親に決められてばかりだった。

自分のしたいことや希望があっても親が都合や何かしら理由をつけて否定されてきた。

あらゆる決定権が親にあった。

 

ある時から自分で選んだもの決めたことの方が良い結果を招いていることに気付き始めた。

それからは自分で決めることにこだわり、誰かに何かを決められることに対しては敏感すぎるほどになってしまったと思う。

 

しかしこの期に及んでまだ「こうすべきだ」「普通こうだ」「常識だ」という凝り固まった価値観を押し付けられることに辟易としている。

 

僕は実家を離れてからいろんな人と出会いいろんな文化に触れてきた。まだまだ知らないことも沢山あるだろう。

その間親はずっと同じ町の小さなコミュニティの中だけで暮らしてきた。

そこに価値観の違いが生じるのは当然だと思う。

僕の方がアイデアの選択肢が多いのだ。

しかし彼らはそれを認めてくれない。親の言うことが絶対で、逆らうことは許されない。

 

当たり前だが僕は逆らいたい訳ではない。

こういう考えもあるよと提案しているだけ。

価値観の多様性を認めて、柔軟に考えることが人間には必要だと思っている。

 

そして、こんなにも考えの固い親をこれからも相手しなければならない。

将来僕と結婚をした人が「嫁としてこうすべき」みたいなことを押し付けられることも容易に想像できる。

ここから逃れられないということを自覚した時、目から涙が溢れてしまった。

不安が限界に達した。

体罰パン

月曜日のAbemaPrimeを見て思ったこと。

 

番組後半は子供への虐待のニュースを受けての、体罰をどう捉えるかというテーマだった。

 

事件が認知されたこともあり、小池都知事体罰防止条例を出すに至った。

 

しかし世の中では、親や教師といえどもついカッとなってしまい手が出てしまうことはあるものだとも思う。それを必要な「しつけ」と呼ぶ人もいるだろう。

 

番組にはかつて子供に躾のつもりで虐待を繰り返してしまったという男性が出演。当時の間違いを反省し、新しいパートナーの支えもあって今では良いお父さんとなっているという。

 

世界的に見ると1970年代のスウェーデンを皮切りに、現在まで54カ国が体罰を法律で禁止しているという。

 

かつて3年ほど教壇に立ったことがある乙武さんは、毎日忘れ物をする女子生徒を強く怒鳴ったことがあるという。それでも変わらなかった彼女はある日発達障害だったことがわかった。当時ではまだそれほど認知されていなかったが、専門家の支援を経て忘れ物をしない工夫をした結果、少しずつ進歩が見られたという。その経験から、自分は何て酷いことをしてしまったんだと乙武さんは反省したという話だった。

 

こういった様々な角度から体罰や脅しに近い教育への考えを改めていこうという流れの中で、一貫して「体罰は必要だ」と言い続けたのがまさに体罰を推進する更正塾を運営する戸塚さんだ。

 

この人が一切他の意見に聞く耳を持たない。

体罰を悪とするメディアがいけない」

「あんたらはお金をもらっているから聞こえの良いことばかり言うんだ」

「そんな統計はハッタリだ」

ととにかく決めつけ続ける。議論にならない。

 

僕は議論を深める為に、世論とは全く逆の論理を展開する専門家を呼ぶことは必要だと思う。その視点から新たに考えるべき、学ぶべきことが見つかるかもしれないからだ。

だがこの人は全く会話が成立していなかった。

「相手を成長させる為、感情的な体罰が必要」と言うのなら、僕が戸塚さんを殴って「何で話を聞かないんだよ!!」とやってもいいことにならないだろうか。

 

虐待をしていた男性の例も、乙武さんの例も、またこの戸塚さん自身を見ても思うことがある。

大人だって完璧な人間ではないということだ。

 

自分の中の不安な気持ちが膨らんだ時、不快感が溢れてしまった時に感情的になってしまうものだと思う。それは仕方ない。

 

だからといって感情に任せて手を出すことはやはり良くない。

国家間の外交で考えてみて、気に入らないからといってミサイルのボタンを押してしまうと取り返しのつかないことにもなる。

だから、カッとなることはあるが手を出さないことを社会全体のブレーキとして持っておきたいと思う。

 

しかしそれでも子育て中の余裕のなさからつい手が出てしまうこともあるだろう。

ミサイルなら手遅れだが、親子間なら取り戻せるものもある。

少しして自分が冷静になった時に、感情的になってしまった自分を認め、子供に謝ることが大切だ。

こうして、悪いことをしたら謝るということを教えることができる。

大人だって完璧ではないことを子供に教える機会でもある。

 

子供を持つことは幸せなことだということが多くの人に伝わっていきますように…。

ROMA/ローマパン

Netflixオリジナル作品のROMA/ローマがアカデミー賞3部門受賞。

 

僕もノミネートされたことがきっかけで見てみたが、とても良かった。

 

「白黒映画」「2時間半」「無名俳優」という理由からとっつきにくさがあるのもわかるが、是非一度見てもらいたいと思う。

 

あらすじはあちこちで散々紹介されていると思うが、メキシコのとある家庭の家政婦さんのお話。

決して満足の生活とは言えない家政婦さんの視点を通した何気ない日常が家族愛を描いていく。

 

後で町山智浩の解説を聞いてわかったことだが、これは監督の幼少期の記憶から作った物語だという。当時まだ子供で家の中のことしか知らなかった自分と、家の外で起きていた事実をしっかりと映像化しているということで更に見返したくなった。

 

僕は1970年代のメキシコの混乱をよく知らない。この映画をもっと理解したいのでそういった歴史的背景を知ろうと思う。

 

きっかけは何でもいい。知らなかったことに気づいてそれを調べて考えるきっかけにすればいい。

 

障害者や外国人労働者や被災者や虐待を受ける子供など、今も昔もこれからも、世の中には様々な理由で弱い立場にいる人がいる。明日は自分がその立場になるかもしれない。知らないで済ませる訳にはいかない。

 

ニュースでも映画でも歌でもYouTubeでもいいから、世の中のいろんなものを知るきっかけにしていこう。そして学ぼう。

信じる者は救われないパン

NHKのインタビューで池上彰が平成最大の事件はオウム真理教だと答えていた。

 

この事件の背景には、バブル崩壊など様々な要因で将来に不安を覚えた若者達の心理があると解説していた。

 

確かに大きな不安を抱えた人達にとって、「信じれば助かりますよ」という声は心強く聞こえてしまうものだと思う。

そうやって宗教に傾倒すること自体を否定はしないが、そこでもやはり自分の判断力というものが求められると思う。何でも信じていい訳ではない。

 

オウム真理教の事件を知っていれば、怪しい勧誘に気をつけようという意識は生まれるかと思う。

 

しかし本当に気をつけるべきはもっと日常に近いところにあると思う。

 

知り合いのおもちゃ屋さんの話。

あるおじいさんがおもちゃを探して訪れた。

「あの、藤井聡太が幼少期に遊んでいたおもちゃを買いたいのですが」

史上最年少プロ棋士が遊んでいたことで一気に人気に火がついたキュボロというビー玉を転がすルートを作るおもちゃのことだ。

そのブームのお陰もあって日本中で売り切れ続出。予約も2年待ちという状態だった。

当然その店にもなかったので、知り合いはべつのメーカーでビー玉を転がすルートを作るおもちゃを提案したが、

「キュボロじゃないなら要らない」とあっさり断られてしまったという。

さっきまでキュボロって名前も知らなかったじゃないか!!とも言えず、悲しい時間を過ごすことになる。

 

こんなことが本当によくある。

 

子供を賢く育てたいという大人達がこぞってメディアで紹介されたおもちゃを買い漁るのだ(同じように賢くなるはずもないのに)。

 

同じように「有名人の◯◯が痩せた!」と言われればそれを求め、

「アイドルの◯◯さん愛用」と言われれば自分も欲しくなる。

こうなった人達はもはや、メディア真理教と呼べるだろう。

 

いつも言っていることだが、自分が好きなものを自分の力で選ぶことが大切だ。

もちろん好きな有名人がいて、その人と同じ物を持ちたい時もあるだろうが、その衝動はどこから生まれたものか、自問してみることも時に必要だと思う。

自由パン

ドイツの幼稚園を見学した際に気づいたことがある。

 

子供達が自由にしている。

 

積み木で遊ぶ子、

絵本を読んでいる子、

ままごとをしている子、

隣の部屋で運動している子、

1人で黙々と編み物をしている子、

本当に自由だった。

 

ドイツの幼稚園が全てではないだろうが、この園の方針としては子供に自分がすることを決める決定権を与えているのだという。

 

だからそれぞれ別々に好きな遊びをしているし、他の部屋や廊下で遊んでいる子もいる。

しかし保育者の目の届かないところに行ってしまうのは困るので、クラスにはどこにいるかを示すボードが貼ってあり、子供達はそこに自分のマークの磁石を貼ってから他の部屋に移動するのだ。

つまり、大まかなルールが決まっていて、それを子供達もちゃんと理解しているからこそ彼らに自由が与えられているのだった。

 

詳しく話を聞くとその園では一切の全体行動をしていないという。

つまり昼食ですら食べたい人から食べに来るという方式。

例えば日本では全員揃って絵本の読み聞かせをしたり、歌を歌ったり、昼寝をしたりする時間がある園が多いと思う。

それら全てが自由というのは面白い。

 

食事は落ち着いた環境でした方がいいんじゃないの?とも思うが、食後自ら手洗い場のボードに磁石を貼って歯磨きをしに行った男の子を見ると自立してるなぁと感じてしまう。

 

また、日本では一斉に昼寝をする時間をとっている園が多いが、これはその間に連絡帳やその他の記録など保育士の書き仕事の時間の為に必要だとも言われている。

 

でも…それって…

大人の為に子供が寝ていることにならない?

 

子供の生活を優先した行動になってないなら、その大量の書き物を見直す必要があると思う。

もちろんそういう作業が得意な人は是非してあげてほしいが、全員がそうではないはず。

なるべく子供を自由にさせてあげ、保育士にはそのサポートができる余裕を持っていただきたいなと常々感じている。

 

ある人が言っていた話で僕も気になっていたことがある。

園の中で「自由遊びの時間」を設けていることがよくある。

一見子供達にとって良い試みのように見えるが、つまりはそれ以外の時間は自由遊びじゃないということではないか。

未就学児の遊びくらい、自由にさせてあげて。