機内で日日是好日を観た。
何でも理屈で考える自分を顧みた。
「そういうもの」と言われることは好きではないが、「習うより慣れろ」の言葉のように、頭で覚えようとするよりも何度も繰り返して身につくものがあることを教わった。
長い年月をかけて理解するものもある。
自分にはこの気持ちが足りなかった。
最後にわかる「日日是好日」の本当の意味。
自分もああやって1日を気長に楽しめるようになりたい。
作中、お茶の生徒たちが座る場所から挨拶をする人まで遠慮だらけのシーンがあった。
日本人らしい滑稽さを感じる反面、この姿こそがお茶の趣なのかとも理解する。
半端者の自分にはわからないのかもしれない。
もう一つ気になったことがある。
お茶の教室では生徒も先生も女性ばかりだった。
昔から千利休が豊臣秀吉にお茶を教えていたように、男性がしてもおかしくないはずだ。
「嫁入り前にお茶を習う」というのはいつから生まれた概念なんだろうか。