ソートベーカリー

小麦粉をこねてパンを焼くように、頭の中で考えたことを文章にしていきます。

伊藤野枝パン

友人に勧められて借りた本「村に火をつけ、白痴になれ」を読んだ。

 

それまでここで語られる伊藤野枝という女性について何も知らなかった。何者?いつの人?アナキスト?って何?みたいな感情だった。

 

何冊か手元にある本の中から、最も興味から遠いものを選んだつもりだったが、結論から言うとどハマりしてしまった!友人に返したくない。

 

ちょうど100年ほど前、明治から大正にかけて生きた女性の評伝的な内容なのだが、著者の入れ込みようがもの凄い。

野枝が何かを成し遂げたときは「いいね」「しびれる」「最高だ」と絶賛の嵐で、

野枝が誰かから嫌がらせを受けると「ムカつく」「チクショウ」「やり返せ」と著者の野次が飛んでくる。

この文体が読み進めるテンポを作ってくれる。元々波瀾万丈な人生の上、これは野枝にとって良いことかどうかが一目でわかるので、次は何が起こるかなと自然にページをめくらせてしまうのだ。

 

野枝の小学生時代の教師であった谷先生という人が、後に野枝に人生相談のような手紙を送り、それに対して野枝が励ましの返信をするという関係があったという。

この谷先生の悩みというのが、田舎社会に長く暮らしていると女はこうあるべきだという考えに支配され、自分の意思で何かをしたいと思ってもなかなか抜け出せないというものだった。

谷先生の中には、周囲に自分の意思を通し、ついに東京に出て行った野枝への憧れがあったのだろう。

谷先生は「これが最初で最後の自分の意思決定です」と残して自殺をしてしまう。

 

僕も田舎で生まれ育ったのでこの気持ちが凄くよくわかる。決まり事や年功序列の規則、近所親戚に恥じない振る舞いなど事細かに求められる。今でもたまに地元に帰ると古い考え方が当たり前に残っていて落ち込むことがある。

 

野枝はこう書き記している。

屈従ということは、本当に自覚ある者のやることじゃありません。

他人に褒められるということは何にもならないのです。

自分の血を絞り肉をそいでさえいれば人は皆喜びます。ほめます。ほめられることが生きがいのあることでないということを忘れないでください。

自分を褒めてくれるのは自分でいい。

誰かから褒められる為じゃなく、ただ困っている人を助けてきた野枝に、僕は共感したい。

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