「明日の神話」という題名で、水爆被害をモチーフに平和へのメッセージが込められた作品だ。
ここを通る度にしばらく立ち止まってみるが、周りにこれを見ている人をあまり見かけない。
気づいていないのか慣れてしまっているのか、その目は手中の画面に向けられ、作品はなかなか見てもらえていないことに気がついた。
通り過ぎる何百人のうち1人か2人が立ち止まったり、写真を撮ったりしている。
また、この場所は別の意味で観光地と化している。ちょうど壁の絵と対面にある窓ガラスからスクランブル交差点を眺めることができるからだ。
僕が行った時は少なかったが、どの時間帯も“世界一人通りの多い交差点”を撮影する人が必ずいる。
平和のメッセージよりもこっちの方がインパクトがあるらしい。…いや水爆の絵もなかなかのインパクトのはずだが。
とにかく人は高い所を好む。よほど高所恐怖症とかでない限り、タワーに登ったり観覧車に乗ったりして下を見下ろして写真を撮る。
上に立って下を見るのが大好きな生き物なんだろう。
この「見下す」は「みおろす」であり「みくだす」でもあると思う。
自分が相手より知識があることや、立場が偉いこと、お金を稼いでいることを自慢するのもそういう心理だ。
だから岡本太郎の絵とそれを見ない人達を比較する僕自身、岡本太郎の絵を知っていることで人を見下しているような気がする。
誰かを見下すことは自然な行為としてやってしまうこともあるだろうが、そんな自分を自覚して、それでも人が見つけていないものを探して上も下も右も左も見れる視点を持ち続けていたい。