ソートベーカリー

小麦粉をこねてパンを焼くように、頭の中で考えたことを文章にしていきます。

東京で生きるパン

あおり運転の指名手配犯が捕まった。

 

この犯人がどういういきさつで行為に至ったかはわからないが、被害を受ける立場はたまったもんじゃない。

東名高速の事件を思い出す人も多いと思う。

 

意図してか周囲を困らせる行為をする人はたまにいて、そういうのに出くわした際に注意をするべきかどうかいつも迷う。

 

自分の意見としては日本が民主主義の国である以上、感じたことは伝えていくべきだと思っているので、嫌な思いをすれば「嫌です」「やめてください」と言って話し合うことが必要なはず。

 

しかしときには急に相手が暴挙に出ることがある。当然そんなことをすれば警察が動いたりなどするが、その前に自分が無事でいられるという保証はない。

東名高速の件で亡くなった父親のことをいつも思い出す。

 

あの父親の行動は、何も間違っていないと思う。以前もこのブログに書いた。

東名高速パン - ソートベーカリー

 

今もこの気持ちは変わっていない。あの父親に感謝の意を示す。

ただ、その上で、やはり、自分の命を危険にさらす価値のあったことなのかと考えてしまう。娘たちに取り返しのつかない悲しい思いをさせてまでのことなのかと。

 

自分がたった一人で生きているなら見境なく思いを伝えることをしていけばいい。だけどやはり、そんなちっぽけなことでもし死んでしまった時に悲しむ人がいるなら、そうなる前に自分の正義漢にもブレーキペダルをつけておく必要があるような気がする。

 

悔しい。

ただただ悔しい。

 

こうして心ある人々が守りに入ることで世の中のあらゆる迷惑行為が看過されていく。そんな気がする。でも絶対にそうであってはいけない。

 

東京に戻ってきて感じた。

他人の迷惑を顧みないほど自意識の強い人か、

そういう人に左右されないよう周りに合わせて自我を消せる人、

どっちかじゃなきゃ生きていけないんだな。

 

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もう少し考えたら言語化します。