ソートベーカリー

小麦粉をこねてパンを焼くように、頭の中で考えたことを文章にしていきます。

センポパン

映画『杉原千畝』を観た。

 

杉原千畝 スギハラチウネ

杉原千畝 スギハラチウネ

  • 発売日: 2016/06/02
  • メディア: Prime Video
 

 

小学6年生の頃、背伸びしてアガサクリスティを読んでいて、連続殺人犯についてポアロ

「犯人は次の殺人も成功すると思っている。ルーレットで勝ち続けた人が次も勝つと思い込んでいるように」と話す場面がある。

ちょうどその頃歴史の授業で日本がアジアに攻め入ったことを習い、次も勝てる次も勝てるとアメリカに戦いを挑んだんだなぁと納得していたことを思い出した。

 

そんないけいけどんどんの時代にも杉原千畝という人は「日本人と外国人」ではなくあくまでも「人と人」という感覚を持ち続けた日本人だったのだろう。

 

この当時の流れに逆らって懸命にユダヤ人を救うビザを発行した彼は戦後になってようやくその功績を認められる。

つまり日本国として、たとえ他国の知らない人であってもその命を救うことは正しい行いであると示したのではないだろうか。

 

にも関わらず現代の日本社会では「日本人と外国人」を悪い意味で区別しているところがまだまだ多い気がする。

相手を「人」として扱うどころか、中には単に「労働力」や「金」としか見ていない例も多分に存在している。

ましてや民度が低いとか死んで当然だとかいう言葉まで出てくるのは絶対に間違っている。

 

いつからそんなにも日本人は偉くなったんだろうか。ドイツは終戦以降二度とナチスの悲劇を繰り返さないよう教育を進めている(ネオナチみたいな存在が消えることはないにしろ)が、日本はどうしてこんなに外国人へのリスペクトがなくなってしまったのだろうと考える。

 

僕が思うに、やはりそれは海外経験の差ではないだろうか。

日本から海外留学を希望する学生が減っているといわれている。理由としては就職活動の期間が取れないとか、留学中に他の学生から遅れを取るとか言われているが、全く間違っている。

留学経験はむしろ就職活動の武器でしかないし、同級生から1年遅れたところで何が困るというのだろうか。というか、遅れるのは学年というまやかしの数字だけで、その経験値は何倍も先を行っているはずだ。

そんなに気にするならいっそのこと全国民に1年以上の海外留学を義務化すればいい。これなら何年生だとか何歳だとか気にすることもなくなるんじゃないだろうか。みんな行ってるなら自分も行きたいとか思えるなら尚よし。

 

杉原千畝も若い頃から満洲やロシアやフィンランドなどの国を経験した上でリトアニアでの仕事に就いた。おそらく様々な人種と接しいろんな社会を見てきて育まれた価値観がその行動力に繋がったのだろう。

 

僕たちは狭い島国に閉じ込められる必要はない。もっと広い世界を見てもっと沢山の人を知ってこそ人は優しくなれるんだと、僕はそう信じている。