映画『僕と世界の方程式』を観た。
実は3年くらい前に何かでこの映画を知ってから観ようと思いつつメモしただけでそのままになっていた。
Netflixに入ってるのに気づいてマイリストに登録したけどそれでもまだしばらく観てなかった。
次に何を観ようかな〜と漁ってるとパートナーが「これ、セックスエデュケーションのオーティスじゃない?」って気づいてくれて、ようやく観ることになった。
僕は本当に俳優とかの顔を覚えられない。
そしてここから先は少しだけネタバレするけど、物語とは少し違うところを話したいからできれば読んでほしい。
自閉症の少年ネイサンが数学の才能に目覚め国際数学オリンピックに向けての合宿に参加する物語で、最後はちょっと納得いかない終わり方ではあるんだけど、僕が注目したいのはそこじゃない。
数学オリンピックを目指すメンバーの中にルークという男の子がいて、彼は数学の知識は凄いんだけどそれをひけらかすような態度のせいで徐々に仲間から嫌われていく。ルーク自身もそれに悩んでいる面は持っていて、なんとかテレビのコメディ番組からユーモアを学ぼうと真似をしてみるんだけど空回りする。実はルークもネイサンと同じく自閉症で、幼い頃から同じように「お前は特別な才能を持った子だ」と育てられてきたことがわかる。
そして数学オリンピックの選抜試験。当落線上でネイサンが受かりルークは落ちる。
「特別な才能を持っている」と育てられてきた子が、自分の持てる唯一の分野で敗北した時の絶望感はどれほどだろうと考えてしまう。
主人公よりもルークのその後が心配で仕方なくなる。彼の気持ちを受け止めてあげられる人は近くにいるのだろうか。
そして子育てというものについても考える。
我が子が他の子と違う障害を持った時、それをどう受け入れるか。「お前は特別だ」という言葉がどれだけの意味を持つのか。
僕はそこに“他の人と比べて優位だ”という意味を含めてはいけないと感じた。そうじゃなくて“障害があろうとなかろうと、才能があろうとなかろうと、お前は僕にとって特別な存在だ”と伝えてあげるべきなんだろう。
その他にも、家族の誇りの為に数学の試験を受けさせられている中国人のキャラクターがいたりと、歪んだ子育て像がいくつか出てくる作品だった。
映画のポスターには「最高に爽やかでハートウォーミング」と書かれているが、僕にはそうは思えなかった。