ソートベーカリー

小麦粉をこねてパンを焼くように、頭の中で考えたことを文章にしていきます。

共生パン

今朝起きていつも通りラジオをつけ、オープニングの毅郎さんの話を聞いて一気に目が覚めた。

 

森本毅郎・スタンバイ! | TBSラジオ | 2020/03/23/月 | 06:30-08:30 http://radiko.jp/share/?t=20200323063000&sid=TBS

 

れいわ新選組参議院議員木村英子さんのサイトを紹介していた。

ちょうど先週出たやまゆり園の事件の判決についての彼女の見解が書かれている。

やまゆり園事件の判決をうけて | 木村英子 参議院議員(れいわ新選組)オフィシャルサイト

 

この人の体験談を読んで、やはり健常者は障害者と同じ社会で過ごして理解を深めていくべきだと感じた。

専門の施設に入れることで見ないようにするのは植松被告のような偏見を生んでしまうだけだ。

犬や猫と一緒に住めるのに障害者と一緒に住めないはずがないじゃないか。

 

僕自身、十分とは言えないが多少は障害について知ろうと様々な情報に当たるようにしている。実際に会ってみることもある。

そうするうちに本当に毎度毎度新しい発見があって驚かされる。僕なんかが想像もつかないところで彼らは苦労している。

 

一人ひとりの障害のカタチはもちろん違うし、求めているものも毎秒変わっていくだろう。だから“障害者”というものを完全に理解なんてし得ない。だからこそ日々の生活を通して少しずつ知っていく必要があるんだと思う。

 

それは障害者の側からも言えることで、施設で育った障害者の中には施設を出た後に他人とのコミュニケーションの取り方がわからず結局仲良くなることが出来なくて孤立してしまう人もいるという。

もし子供の頃から一緒に過ごしていれば同世代の共通の思い出を持つことができ、社会に出ても同い年の人と新たな関係を築くきっかけになるかもしれない。

 

最近は少しずつ障害者と健常者が同じ教室で同じ授業を受けるインクルーシブ教育が話題になり始めてきているが、中には「教員の負担を増やすのか」という批判が出たりもする。

僕は思うんだけどその批判は大間違いで、憲法により全ての国民に教育を受けさせる義務がある限りそんなのは負担でもなんでもないはずなんだ。むしろどうすれば授業が受けられるか考えるべきな訳で。

 

木村英子さんのサイトを読んでいると、障害者介護の現場も保育の現場も似ているところがあるように思えてきた。

なんというか、その仕事に向いていない人がそこにいるような気がする。

「就職先がないから」「優しい性格に向いてると言われたから」「楽しそうだから」「なんとなく」で現場に来てしまった感じ。

本当にその仕事の必要性を感じてなっている人はもしかしたら僅かしかいないのかもしれない。

そしてそれは現場の人手不足も後押しして十分な道徳性を身につける前に資格を与えてしまっていたりする。

そして悲惨な事件に繋がっていく。

 

同じ社会で暮らすことは互いの存在を意識しあい理解しあうための機会づくりだ。

そしてそれは想像以上に急務だと思っている。

f:id:mumusanopinojr:20200323233202j:image