ソートベーカリー

小麦粉をこねてパンを焼くように、頭の中で考えたことを文章にしていきます。

無視できないパン

相模原の障害者殺傷事件の犯人の死刑判決が出た。

 

“意思の疎通の取れない重度障害者は生きている価値がない”という優生思想ともとれる主張から犯行に及んだこの犯人を許せる人はいないと思う。

 

どんな重度障害者も家族や周りの人との関わりの中で生きていて、誰にも侵されるべきでない人権がそこにはあるはずだ。

 

そんな命を19も奪った行為がとんでもないのは当然である一方で、この男に「生きる価値が無い」「お前が死ね」という感情を持つことは結局のところ同じ境遇にあるように見えてしまうのは僕だけだろうか。

他人の命を左右する資格なんて誰にもないというならば、この凶悪犯の命に対してもそうでありたいと思うのは僕だけか。

 

もちろん被害者家族の気持ちまでは計り知れない。彼らの中にも沢山の葛藤があるはずだし、仮に全員納得したから死刑にできるというものでもない。

検察と弁護が両立する裁判という場で正式に死刑となるのだから判決に異論はない。

 

被告人は最後に一言申し出たという。

裁判官はそれを却下したという。

翌日NHKが取材したその言葉を知って、やはり却下は正しかったと思った。

 

この件に関する記事を読んだりニュースを知ることが僕には辛すぎる。考えるべきポイントが多すぎる。ただの“ヤバい奴がおかしなことをしでかした”で終わらせてはいけない気がする。誰にでも起こる小さな不幸の連鎖が大きな悲劇に繋がっている。それは誰かが途中で止めることができた不幸だったりする。

多分僕はこれからも様々な場面でこの件を思い出すんだろう。その時にまた少し社会が優しくなっていて欲しい。そう願う。

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