ソートベーカリー

小麦粉をこねてパンを焼くように、頭の中で考えたことを文章にしていきます。

いつもの映画と違うパン

インド最大の人気映画『ダンガル』を観たことがあるか。

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レスリングの国内王者である父親が、自分に成し得なかった国際大会での金メダルという夢を娘に託し、レスリングを教えるという実話だ。

 

160分の映画にするくらいの実話だからそりゃ紆余曲折ありながらも最後には綺麗な物語として終わり、インドだけじゃなく世界中で評価された作品としてとても良かったことは言うまでもない。

 

しかし、ひとつ驚いたことがある。

 

映画の冒頭、レスリングを教える為に息子が欲しいと願う父親の希望とは裏腹に、家庭には娘ばかりが生まれてくる。その都度母親は謝り妊娠する度にプレッシャーを感じている。

そして男子が生まれなければと娘を毎朝5時に起こして無理やりトレーニングを積ませる。決して娘が自分からレスリングをやりたいと言った訳ではない。

 

この2つの場面が“悪しき慣習”だと指摘する描写が一切ないのだ。

 

僕がなぜ驚くかというと、本作の主演アーミル・カーンの他の映画ではしっかりとそれらを指摘するからだ。

例えば『きっと、うまくいく』では、良い成績を取らなくてはならないというプレッシャーから自殺する学生もいるほどの学歴至上主義の世の中に対して自分の好きなもの楽しいものを学べというメッセージを伝え、

例えば『PK』では、宗教大国インドのど真ん中で根拠のない言葉に振り回されず自分が心から信じられるものを見つけるべきだと説き、

例えば『地上の星たち』では、どんなに周りと違っていて馬鹿にされても自分の思うままに表現することが大事だと教えてきた。

 

そんな彼が『ダンガル』のあまり素敵でない父親役をやっていることに驚いたのだ。

 

一か所だけ、結婚する女の子が浮かない顔をしてその後の家事や子育てをするだけの未来を憂うという描写があり、それと対比してレスリングで活躍した主人公の娘ギータは世界に羽ばたく自由を得たということを表現しているんだろうけど、全体的にはかなり薄い。

それはこの物語の主軸がそこじゃないからだろうから仕方がない。

実際、映画の後半では父親は娘にとってかけがえのない大切な存在になっているのだから問題ないということなんだろう。

 

いろいろ思うことはあるけど『ダンガル』が面白い映画だったことに変わりはない。

レスリングシーンの迫力はもの凄い。見ていてレスリングが好きになるし、実際の試合も見てみたくなる。

是非。