友人が髪色を派手に染めたいけど会社の服務規程で禁じられていると話していた。
彼女の仕事は民営化したあの職場の窓口業務であるため、利用者の印象を守るという意味での規定なのだろうと予想はつく。彼女が希望する青や紫といった髪色は社内的にも社外的にも到底受け入れられそうにはない。
とはいえ、本来業務を遂行するにあたって髪の色なんて問題ないはずで、仮に髪の色で「あの人に頼みたくない」となってしまうとすればそれは彼女の問題ではなくその人に内在する偏見の問題なんじゃないかと考えたりする。
それって下手すると肌の色が黒いからとか頭にターバンを巻いているからとかいう理由で敬遠される世界に近づいているような気もするのだ。
見た目による無用な差別が生まれてしまう背景には、単純に”見慣れていないこと”が挙げられると思う。やはり偏見や差別を減らしていく方法として「いろんな人がそこにいる」のが一番だ。だとすると“髪の色が青い職員”は多様性を受け入れる第一歩になりうるのではないか。
これって「私は青い髪が好きだから青く染めます(業務と関係ないので)」で終わる話だと思うんだけど、それを押し通すにはある程度のプレッシャーに耐える心の強さと勇気が必要な気がする。
僕は小心者だからそんなのは持ち合わせていない。
でもなんだか変だなぁと思うのは、今の世の中が「あの見た目はダメだ」とか「あの発言は許せない」といった“不快”は平気で表明される位置にあって、大勢がそれを行使しまくっていることだ。
逆じゃないか?
「私はこれが好き」をいつでも気軽に言えて、「これはやめてください」は切羽詰まった場面で出す切り札である世界の方が多分生きやすいはず。
いきなり世界を変えることなんてできないから、まずは明日から言いにくい場面でも気軽に「これが好き」「こうしたい」を言っていく努力をしてみようと思う。
「好き」を言うのは難しいけど、別に悪いことじゃないんだから。