ソートベーカリー

小麦粉をこねてパンを焼くように、頭の中で考えたことを文章にしていきます。

「甲子園の魔物」の正体パン

今年の甲子園は無観客で行われている。

正確にいうと、対戦校の野球部員やブラスバンド、家族など関係者のみスタンドに入れている。

この「無観客の甲子園」が、めっちゃ良い!

 

5年前の東邦(愛知)と八戸学院光星(青森)の対戦が思い出される。

この試合は甲子園ファンの記憶に残るだけでなく、過去の名場面を振り返る特集にも取り上げられるような試合だ。

その理由を簡単に説明すると、7回表終了時点で9-2だった試合が、最終的に9-10xと大逆転を見せたからだ。

 

僕は当時この試合に大きな違和感を感じていた。

というのも、観客の熱狂が物凄かったからだ。

 

甲子園の観客の多くは「高校球児のドラマ」を求めている。

怪我から復活したエース、猛練習で掴んだレギュラーの座、わずか数センチ届かなかったホームラン、チームメイトと勝ち取った優勝旗、などなど、球児の野球に真剣に取り組む姿勢から生まれるドラマが好きだという人は多い。

そういった数々のドラマの内のひとつに「ありえない大逆転劇」も当てはまるだろう。

 

実際、過去に幾度も逆転劇は起きていて、それらをまとめた特集が組まれるほどだから、観客を魅了するのは間違いないだろう。

しかし、僕の持つ違和感はその「逆転劇を見たいから負けている方を応援する」という観客心理にある。

 

僕は球団創設以来の楽天ファンだから、プロ野球を見る時はどんな試合展開であろうが楽天を応援する。楽天の試合じゃない別のパ・リーグ2球団の対戦なら、より楽天の優勝に近づくような結果を祈る。楽天より上位の球団が負けてくれる方がいいから。

 

つまり、対戦するどちらかの関係者でもなくただ「ドラマが見たい」観客は、正直言って「どっちが勝ってもいい」のではないか。

この「どっちが勝ってもいい」と「ドラマが見たい」が掛け合わさって「逆転劇を見たい」という感情の方向性が生まれているのだと思う。

 

とにかく、「逆転劇を見る」ために「負けている方を応援する」という感情が観客の心の中に伝染していった時に”あの熱狂”が生まれたということは間違いないと思う。

その熱狂に乗せられてミラクルな大逆転勝利を納めたチームは清々しいものがあるだろうが、僕はどうしても負けた方のチームが気になる。たとえ途中まで大勝していて気持ちに油断が生じてしまったとしても、負けた原因は選手にはないような気がするのだ。

 

というのも負けた八戸学院光星の桜井投手は「周りみんなが敵に見えました……」とインタビューに答えている。これは比喩でもなんでもなく、あの日のあの瞬間、本当に会場全体が彼らの敵だったのではないか。

 

精神状態を鍛えるのも投手のトレーニングだ、という声もあるとは思う。だとしても 、何万もの敵軍に立ち向かうというのはかなり異質なシチュエーションだし、これに耐えられる高校生ははっきり言って存在しないと思う。

 

グラウンドの球児を責める前に、観客一人ひとりが自分の胸に手を当てて考えてみてはどうだろう。

自分のいっときのカタルシスのために、無意味に選手を追い詰めてはいなかっただろうかと。

 

今年の甲子園の開会式で、ある大人のスピーチが気になった。

「私たちを感動させてください」

そうじゃないだろう。選手が全力プレーを見せた結果として観客は感動すればいいのだ。「感動させて」なんておこがましいにも程がある。

 

夏の甲子園で活躍することでプロへの切符を掴もうとする選手もいるだろう。選手たちには妙なプレッシャーなど与えず、のびのびと全力プレーをすることでスカウトたちにアピールをしてほしい。

その場を「感動したい」だけの観客が乱すべきではないというのが僕の考えだ。

f:id:mumusanopinojr:20210824224129j:image