息子・寿限無(本名を載せない場ではこう呼んでいます)の誕生から4か月が経った。
子供の成長は早いとは聞くけど、本当に驚くほど早い。ほんの4か月前の写真と見た目も違うし、体重は倍くらいになってるし、小さくなって着れない服も増えてきた。
最近では目が合うとよく笑顔を見せてくれる。こんなに嬉しいことはない。
しかも僕が「えへへ」と言うと応えるように「キャハハハ」と声を出して笑う。「うふふ」と言っても「おほほ」と言っても「キャハハハ」と笑うけど、他の言葉だと反応しない。このやり取りがとても面白い。
この4か月、僕が仕事から早く帰れることもあり、家事・育児については妻と協力してこなしてきた。洗濯は妻が昼間にやってくれ、料理は毎日僕がしている。一人暮らしが長かった分、料理自体に苦手意識はないけど、こう毎日だと今までやったことのない料理のレパートリーも増えてきた(たま~にマズいものを作ることもある)。
妻の外出中や入浴中など、離れているときに寿限無が泣き出してもあやせるようになった。というか、僕の腕の中でしっかりと眠らせる力を身につけた。
こうして夫婦互いにやれることをやり、助け合いながらここまでやってきたところで、考える。
これで、ギリギリなんですけど!?
夫が育児に非協力的だとか、母親がワンオペ育児に疲れて産後うつになるといったニュースを定期的に目にする。今まではそんなニュースを見ても「自分はそうならないように」としか思えなかった。
しかしいざ子育てが始まって一定期間がすぎ、その大変さが身に染みたところで、これらのニュースについて考えると「無理じゃん」「できる訳ない」といった感想しか出てこない。
協力している僕らでさえ精一杯なのに、協力せずにまともに子育てなんてできるはずがない。もちろんベビーシッターや近所の児童館などのコミュニティ施設を利用して今日はなんとかなったとしても、明日はどうするのか。それらを連日利用する訳にもいかないだろう。そして何より「一日をやり過ごす」ことが本当に子供を”育てる”ことに繋がっているかどうかが大事だ。
僕ら夫婦は「協力」していると書いたけどこれも妻の視点からは僕に対してもう少しリクエストがあるかもしれない。料理だって仕事から帰って積極的にしたいと思えてない日がもちろんある。けど僕なりに頑張っているつもりだ。
ある日親戚から「手伝ってるんだね」と言われた。これもどうせ何気なく発したひとことで、僕はもう目くじらを立てて怒ることはしないんだけど、やっぱり根底には「旦那が仕事をし、妻が家事・育児に励む」という考えがあるのだろう。
はっきり言って僕は主で家事・育児に取り組んでいる。そりゃあやるべきことの上限なんてないだろうけど、やれることはやっている。だって子育てしたくて仕方なかったんだから!
僕の生活を見ていないから「手伝っている」という言葉が出るんだろうとわかってはいるが、「じゃあどれだけやれば言われなくなるの?」とは聞きたくなる。
僕は子育ても家事も、一切手伝わない。