ソートベーカリー

小麦粉をこねてパンを焼くように、頭の中で考えたことを文章にしていきます。

2年ぶりの帰省パン

先日、2年ぶりに実家に帰った。

2年間帰れなかった理由は説明するまでもないけど、まぁいろんなものが変わっていて驚いた。

何より昔から有名だった老舗の食事処がなくなって、そこには吉野家とケンタッキー、隣にマクドナルドができていて、地元に帰った感じが全くしなくなっていた。それでも週末は混んでいるというのだから、地元の人たちはこれで嬉しいんだなと、他所者は苦笑いで見守るしかない。

 

その一方で実家では、相変わらず両親や親戚が裏の畑で野菜を作っており、それらが食卓に並ぶ光景には毎度ながら感動する。

 

その食事時、父がいつまでもテレビのチャンネルを替えているのに気がついた。

「さっきからずっとチャンネル回してるね」

「テレビが全部つまらんから毎日これ」

「じゃあ消せばいいじゃん」

2年ぶりに帰った息子と話をしようよと促しその場ではテレビを消したものの、小一時間もするとテーブルを離れソファに座ってもう一台のテレビをつけてチャンネルを回し始めた。

「さっきつまらんって言ってたのに」

「今度は面白いものやってるかも」

「番組表見ればいいじゃん」

 

聞くと両親とも、長年テレビをつけている生活を続けたせいで、家に帰るとすぐにテレビをつける癖がついているという。しかし見たい番組などほとんどなく、せいぜい納得いくのはニュース番組くらいの様子だ。

僕自身、地上波のニュース番組をじっくり見たのが久しぶりだったが、こんなにもトピックによってニュースの読み方やBGMが違うのかと驚いた。そして両親はその煽りナレーションとBGMにまんまと心を動かされ「ぶん殴ってやれ!」とエキサイトしたり「悲しいね」と感動したり、critical thinking のかけらもなく素直に操られてしまっているように見えた。

 

こんなのに毎日触れて感情まで委ねてしまっていてはどう考えても不健全なので本気で見るのをやめてほしいと思った。

聞いてみると最近はテレビがつまらないからYouTubeを見ることも増えたようだが、チラッと見た限り相当偏った動画しか見ていないようで、そもそもcritical thinking を持たないままそういうのを見てしまうと鵜呑みにしてしまって更にそのフィルターバブルの中で次々と動画を見続けるという悪循環に陥ってしまう。

YouTubeの中には良質なコンテンツもあると思うけど、そこの取捨選択やバランスを取る感覚がないと結局その濁流に流されかねない、というのは僕自身常に気をつけておきたいことだ。

 

どんな素人がどんな動画でも出せてしまうYouTubeとは別に、Netflixはある程度内容の質が保証されている。僕も数年前に実家のテレビでNetflixが見れるよう設定しておいたが、ほとんど見られた形跡はない。不健全な地上波テレビを見るくらいなら、Netflixを漁って昔の懐かしい映画でも観てくれる方が遥かに有意義な時間だ。その視聴履歴から好みに合いそうな作品がオススメされるなら、YouTubeの玉石混交の偏りに埋もれてしまうよりもマシではないか。

 

そもそも両親は田舎からほとんど出ず外の世界を見る機会が少ないような気がする。それは飛行機などの乗り物が苦手ということも加味しているだろうけど、先に書いた畑のこともあるのではないか。畑ではいろんな種類の野菜を育てている為、目を離すことができない。少しでも世話を怠ると虫に食われたり傷んでしまったりするので、毎週末畑仕事に精を出している。そんな手の込んだ野菜が美味しく食べられるのは本当に有り難いことだとは思う一方で、もうそこまでしなくてもいいんじゃないかと考えてしまう自分がいる。

その畑仕事に費やしている手間と時間とお金を使って楽しくのんびり旅行でもしてほしい。そしてこの広い世界、自分たちの知らない考えや文化がいくらでも存在することに気づいてほしい。「世界」が「テレビの中」にはないことを知ってほしいのだ。

 

僕の思いがどれだけ伝わるかわからない。簡単に決められることでもないし、僕も何かしら手を尽くす必要があるだろうから、これからじっくりと考えていこうと思う。

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