ソートベーカリー

小麦粉をこねてパンを焼くように、頭の中で考えたことを文章にしていきます。

ユニフォームで選ばないパン

参議院選挙が近づき、徐々にニュースで話題に上ることも増えてきた。それに応じて今はSNSなどで様々な意見に触れることも多い。

そういうのを見ていると、大雑把に判断している人が目についてしまう。

どういうことかというと、例えば自民党に入れる人は自民党に入れるし、自民党に入れない人はとことん自民党を嫌っているような印象で、もし立候補者や公約が野党のものとそっくり入れ替わったとしても投票行動に変化のない人もいるんじゃないかと思うのだ。

わかりやすい例でいうと、憲法改正に賛成なら右派だし反対なら左派、みたいなめちゃくちゃ大雑把にカテゴライズされていたり、もはや具体的な意見などなく「自分は右派だから賛成/左派だから反対」みたいな逆転現象まで起きていたりする。

 

なんというか、党派とかイデオロギーじゃなくて人それぞれの「考え方」が政治に反映されてほしいんだけど、今の選挙制度じゃ無理そう。

テレビやネットの番組でも「若者の投票率を上げるには」と話してたけど、結論はいつも「選挙制度を変える必要があるが、今の制度で受かった人が決めるから無理」に終始してて、もうみんなこの国の一番の問題点は国会だってわかってんじゃん。

 

選挙って「人」を選ぶんだけど、その「人」が公約を果たそうと働くとは限らなくて、それこそ「党」の方針の数合わせになっている場合だって多いし、その「人」自身が不祥事を起こして失墜することも沢山見てきたからもう期待しようがないんだよね。

その点では近頃「国民投票住民投票」について考えてみると「人」じゃなくて「意見」に対して賛成反対を投じることができて、同じトピックについて一人ひとりがじっくり考えているということは実はものすごく重要なんじゃないかと思えてきた。

そうすると、例えば「憲法9条を変えるべきじゃない」と考えている人も、同性婚については「憲法24条が時代にそぐわなくて変えた方がいい」と考えているかもしれなくて、そういう「右左」では括れない「意見」がもっと反映されやすくなる気がする。

 

何度でも言うけどうちの父のように「俺は保守だ」「お前は左翼だ」と枠組みで物事を見てしまっている人は一旦「一人ひとり」ってイメージに立ち返るといいと思う。

 

ちなみに僕は創設以来の楽天ファンだけど、楽天の選手だって2005年からとっくに入れ替わってるし、楽天から出て行った選手もいれば他から来た選手もいる訳で、全く同じチームという訳じゃない。なのになぜ応援しているんだろう?とよく思う。これは野球というスポーツでもなく選手のプレーでもなくユニフォームが好きなだけなんじゃないのかと(笑)

まぁスポーツだからそれでもいいんだけど、政治は一人ひとりの生活に直結することなのでユニフォームで選ばないようにねって話。

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