ソートベーカリー

小麦粉をこねてパンを焼くように、頭の中で考えたことを文章にしていきます。

『ギレルモ・デル・トロのピノッキオ』パン

Netflixの映画『ギレルモ・デル・トロピノッキオ』が公開された。

コッローディの原作が生まれ、ディズニー作品で広く長く知られるあの物語を、『パンズラビリンス』『シェイプオブウォーター』のデル・トロ監督が軽い作品に仕上げる訳がないと、1年以上前から公開を楽しみにしていた。

そこで僕は公開前に、1881年の原作『ピノッキオの冒険』を読み、1940年のディズニーのアニメ映画『ピノキオ』を観て、2022年のディズニーの実写版映画『ピノキオ』を観て、2019年のイタリア映画『ほんとうのピノッキオ』を観た。
いまや周囲の誰よりもこの作品について詳しい自信がある。

万全の予習をしたうえで『ギレルモ・デル・トロピノッキオ』を観て考えたことを書いていきたい。ネタバレあります。

 

 

 

結論から言うと、最高傑作だった!
原作の扱いづらい箇所を再解釈しつつ、改変されたディズニー版も活かしつつ、独自のメッセージ性を持たせるという、非常に難しいことを成し遂げていると感じた。

 

まず、ディズニー実写版にあった「ゼペットじいさんは息子を亡くしている」という設定。
ディズニー版では不自然なまでに長い独り言で悲しみを表現していたのを、デルトロ版ではじっくりとゼペットとカルロの生活を見せることで本当の親子の時間とその喪失を描いていたように思う。不慮の出来事によって子供を失うこの感情は子供を持つ全ての親の心に共感を生む。というか、僕自身が今1歳6カ月の子供を育てている身であるからこそ、この子を失ったらということをリアルに考えてしまうのだ。

 

次に、ピノッキオが死ぬ場面。ディズニーは描いていないが実は原作ではピノッキオは1度死ぬ。
これは作者のコッローディが連載を終わらせるために死なせたのだが、当時の読者である子どもたちの声によって連載を再開させるため再び生き返らせたと言われている。
その原作に出てくる「棺を運ぶ4羽のウサギ」がイタリア版に続いてデルトロ版でも描かれている。しかしデルトロはこの"一度死んで生き返る”設定を利用して、死の精霊から「人生に意味を持たせるのは儚さだ」というセリフを引き出すことでこれを物語の核に据えた。ここが秀逸だ。
この物語の中でピノッキオは複数回死ぬが、その度に死の精霊がかける言葉がとても良い。「あなたに永遠の命があっても、他の人の命には限りがある。いつが最期の時なのかは彼らが世を去るまでわからない」このセリフにドキッとする人は多いはずだ。

 

3つ目はやはり戦争。物語の中盤から後半にかけて戦争の影が大きくなる。これはもちろんデルトロ版のオリジナル。
よく見ると実は序盤のカルロがブランコを漕いでいるシーンから戦闘機が飛び交っていたり、街の看板など細かいところにファシズムが現れていたりする。キャンドルウィックも模範的ファシストとして敬礼のポーズをしている。
ありふれた生活風景の奥に戦争を感じさせるという演出で、デルトロと同じメキシコ人監督のアルフォンソ・キュアロンがアカデミー監督賞を獲ったNetflix映画『ROMA』を思い出す。是非見てもらいたい。
物語の後半からピノッキオは人形ショーに出演することで、イタリア軍プロパガンダに加担させられ、死なないことで兵士としての価値を見出される。
訓練施設が爆撃される一連のシーンで、キャンドルウィックは父親にペイント弾を撃ち込み、スパッツァトゥーラはヴォルペを倒す。弱き者たちの反抗心を示す重要な場面だったと思う。

 

個人的に衝撃だったのは、セバスチャン・j・クリケットがゼペットを叱るシーンだ。原作の物言うコオロギも、ディズニー版のジミニー・クリケットも基本的にピノッキオに対してしか意見しない。ピノッキオの良心という役割を与えられるからだ。しかしここでは一時の感情でピノッキオを「重荷」呼ばわりしてしまったゼペットを叱る。親が子に対してきつく言ってしまうことがあることは理解しつつ、しっかりと反省を促すのだ。
ちなみにこのピノッキオは初めこそはちゃめちゃだったものの、ゼペットのために働きに出てからはすっかり「良い子」になっている。これもディズニー実写版に近い気がする。

 

原作のピノッキオは大事な家族のために懸命に働くことで人間になり、ディズニーアニメ版では命がけでゼペットを助けたことを評価されて人間になり、ディズニー実写版は「人間になったともいわれています」という曖昧さを残してエンディングを迎える。
それに比べてこのデルトロ版は、話の軸となった死の精霊の言葉通り、死ぬことがある=尊い存在という点において人間となったのだ。

 

なによりも絶対に触れておかなくてはならないのが、ストップモーションという撮影方法についてだ。この「人形に命が吹き込まれる」という物語を撮影するのに、本当に人形に命を吹き込んでいるというのが素晴らしい!見ていて全く違和感がないくらいスムーズな動きをしている上に、物語の構成上関係ないような細かい動きまで撮影していることにこだわりを感じる。
ピノッキオの舞台裏」というドキュメンタリーでは、より動きをリアルにするために躓きを入れているというので本当に驚かされる。どんだけ苦労したいんだよ!

 

感じたこと、言いたいこと、気づいたことをだらだらと書き連ねてしまったけど、本当に素晴らしい作品だった。感謝。

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