ジャーナリストの堀潤が火曜の夜に恵比寿の駅前でライブ配信を始めた。
参院選を控えて街の人はどう思っているか、というインタビュー形式で見入ってしまった。
しかし僕が期待していたものとは違い、声をかける若者の多くが「選挙?興味ないです」という返事。
それに対してコメント欄は「投票はした方がいいぞ」みたいな投稿が目立つようだった。
しかし堀潤はそんな若者を非難することなく、「どうして?」「不満や不安はない?」などと寄り添って質問していく。そうすることで、「実は住民票を移してなくて」とか「不満ないです!」という本音に近づくことができた。さすが。
片や20代の会社員で多少は意見があるようで投票先を決めたという方が話した際のコメント欄は「偉い!」というものが多かった。
僕はこのコメント欄に違和感がある。
選挙に興味ない人には「投票しなさい」
投票する人は「偉い」
僕はそうは思わない。
やたらと「投票しましょう!」と言われても、興味ないものにわざわざ行かない。
無理やり連れて行かれても誰に入れていいのかわからず、名前を知ってる人に投じるのがオチだ。
まずは興味を持たせることじゃないか。
僕自身、大学時代は1度も投票に行っていない。先に出たような住民票が地元にあるという言い訳を纏って興味がない自分を隠していた。
しかし3年くらい前から面白いと思うようになり、少しずつ勉強していくにつれ段々と政治は自分の生活の延長だということがわかってきた。自分が困ることがないように、また困ったとしても助けてもらえるように様々な角度から考える必要がある。
そして更に視野を広げると、自分はそれでよくても他の人には不都合だったり、困ってるのに見過ごされていたりする事例が見えてくる。
知れば知るほど他人事ではなくなってくる。
そんな気持ちを抱えていると、インタビュー中の「不満も不安もありません」と言えてしまう人が羨ましくもあり、同時に悲しくもなってくる。
この人達は“今、自分が満足していればいい”という考え方なんだろうな。そしてそんな人がこんなに沢山いるんだな、と。
混雑した電車の扉付近で立ち止まる人がいる。みんなが少しずつ詰めてくれればまだ何人か乗れそうなのに…と思うことがある。しかし“今、自分は電車に乗れた”とだけ思っている人は後ろにまだ乗りたい人がいることに気づいていない。そんな悲しさがあった。
さっきも言ったように、何も知らないまま投票に行けとは思わない。
だけど、ちょっと周りに目を向けてみて、もしかしたら自分以外にも電車に乗りたい人がいないかな、そんな気配りをする人が増えたら投票率は上がるのかもしれない。
そしてそんな気配りが当たり前になって、「偉い」なんて言われなくなることを望みたいな。