今日の新聞の投書欄に、吉野彰のノーベル賞受賞を喜ぶ声が載っていた。
「日本人として誇らしいです」
まただ。
人類の役に立つ研究が評価された人とそれをただ後から知った自分を“同じ日本人”というグループに入れて誇りに思うのが不思議で仕方ない。
「吉野さん凄いですね」でいいじゃない。他人の栄光を我がものにするのはなんでだろう。
その一方で、カンボジアでタクシー運転手を殺害した日本人に対して、悪い奴だと糾弾こそすれど、
「同じ日本人として情けない限りだ」とはならない。なんだったら“同じ”と思われたくないんじゃないかな。
良いことは我がことのように喜び、
悪いことは自分とは違うものだと目を背ける。
この都合のいい解釈が僕は好きじゃない。
ノーベル賞を獲ったのは自分じゃないし、タクシー運転手を殺したのも自分じゃない。
個々は全く別の存在である、と同時に、
世界に役立つ研究も、世界が悲しむ事件も、やってるのは同じ人類だって考えながらより良い世界を作っていけたらいいなぁ。
こんなことを書きながら、“そういうことを言う人”ってレッテルで見てる僕もまだまだだなぁと思っている。