ソートベーカリー

小麦粉をこねてパンを焼くように、頭の中で考えたことを文章にしていきます。

Netflixの映画パン

Netflixで次々と映画が公開されていく。

 

その中で、考えるまでもなく「観る!」とマイリストに入れるものと、「いつか観ようかな」で記憶に留めておくものと、自分のアンテナには引っかからないものがある。

 

問題はこの中でも2番目の、興味はあるけど優先するほどでもない位置づけの作品について。

山ほど作品がある中で、時間をかけて観るからには面白い作品を観たいし、もし面白くなければ損した気持ちになってしまうこともある。

 

そういう作品を観ている時にたまに迷うことがある。

面白いという触れ込みや自分の直感で見始めたものの、ちょっと退屈だなというシーンが長く感じることは誰にでもあるはず。

40分くらい観てから「ちょっと違うな」と思って離脱する人もいるだろう。

当然、様々なコンテンツが溢れてるんだからそこで見限って別の作品に移ってもいい。

でももし、その作品が評判通りの感動のクライマックスを迎えるとしても、自分はそこに立ち会えないことを受け入れるしかない。

 

以前乗った飛行機の中で、斜め前に座るおじさんが「カメラを止めるな」を観始めたのが座席の後ろから見えたことがあった。

そのおじさんは最初の15分くらいで観るのをやめ、別の映画を再生した。

話題になっていた映画をどんなもんかと観てみたけど、大したことないなと停止してしまった心情は容易に想像がつく。

最後まで観ないのはやはりとてももったいない。

 

例えばこれがチケットを買って映画館で観る作品ならまた感じ方は違う。

途中退屈でウトウトすることはあっても、とりあえず最後まで見届けるはずだからだ。

そして周りの観客の反応も見て、面白かったななと満足して帰ることができるかもしれない。

 

そういう意味では「劇場公開の映画」と「Netflixの映画」は作り方が違ってくるのかなとも思う。

前者が時間や製作費の制限に縛られやすいのに対し、後者はほんのひと時も視聴者を飽きさせてはいけないという高いハードルを強いられていることになる。

 

どっちがどうという訳でもないけど、せっかく途中まで観たんなら、最後まで付き合ってもいいじゃん!

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