数年ぶりに映画『ユー・ガット・メール』を観た。
https://www.netflix.com/jp/title/18171032?source=35
なんとなく好きな作品だった印象だが、1998年の作品を2021年に観るとまた違った印象を持つことができた。
古い映画だしベタな恋愛ものだからネタバレも何もないんだけど、
ニューヨークの片隅で、母親の代から続く老舗の小さな絵本専門店「街角の小さな本屋さん」を経営しているキャスリーン。彼女には同棲している恋人がいるがインターネットで知り合ったハンドルネーム「NY152」の彼とのメールのやり取りに夢中。
そんな時、キャスリーンの店のすぐ側に、カフェを併設した値引き商法の大型書店「フォックス・ブックス」が開店。どんどん客は奪われ売上は落ち続ける。このままではキャスリーンの店は潰されてしまう。実はこのフォックス・ブックスの御曹司ジョーこそが「NY152」の彼だった。キャスリーンとジョーは実生活では商売敵として顔を合わせれば喧嘩ばかり。だけど家に帰れば「Shopgirl」と「NY152」として、その日にあった事をメールで報告したり、お互いを励まし合う間柄に。メールを通じて、ふたりはますます惹かれ合っていく。お互い相手の正体に気付かぬまま…。(wikipediaより引用)
結末はご想像の通り。
今見てみるとこの巨大資本が町の小売店を踏みつぶしていく様子が寂しく感じられる。確かに何でも揃うショッピングモールは便利で、昔からよく利用するし、若い時期ほどそういう場所が素敵に感じられるとは思う。僕自身がそうだった。だけど大人になるにつれ、日本全国どこの街に行ってもだいたい同じような店が並んでいて、「この店」であることに必要性を感じられなくなってきた。そんな時にキャスリーンの経営するような小さな店があるとなんだかほっとするのだ。
とはいえじゃあそんな行きつけの個人商店が何軒あるかと訊かれると、ほとんどない。自分で悲しくなる。
昔は感じなかったことだが、今回僕は劇中のキャスリーンにもツッコみたいことがある。
大型書店という巨大資本によって店の経営が傾いたことに本気で怒っているのだが、そのキャスリーンだって毎朝スターバックスという巨大資本でコーヒーを買って出勤するのが日課になっているではないか!?
これは必ずしも100%個人商店を支援するべきだと言いたい訳ではなく、それぞれが自分のできる範囲で好きな店にお金を落とす一方で、やはりどうしても便利な店は利用してしまうよねという話だ。その大切にする方向がコーヒー店か書店かの違いなのかもしれない。
また、大型書店が来なかったとしてもやはり街角の児童書店には出版不況の波が襲いかかっただろうなと思う。それはインターネットの普及が大きな原因となるが、何せキャスリーン自身がそのインターネットを嬉々として楽しんでいるではないか!?それがこの映画のコンセプトだし。
そう考えると、キャスリーンに同情する一方で、店が潰れることに一定の理解は必要なんだよなと思い知らされる。
さらにこの作品については「ネットを通じて恋人ができる」ことは最重要ポイントだ。
1998年当時と2021年ではそのハードルの高さが全く違う。現代の方が手軽になった一方で、危うい相手を避けるためのリテラシーも必要とされるようになった。
そして下の特集を読んだ。「14歳の女子中学生」としてSNSアカウントを作ってみたというNHKの取材記事だ。次々と怪しいメッセージが送られてくる様ははっきり言って気持ち悪いので必ずしも下の記事を読まなくてもいい。
WEB特集 “14歳”になって見えたこと… SNS性犯罪 驚がくの実態 | NHKニュース
大人ですらSNSで知り合った人との距離の縮め方は難しいのに、ましてや未成年にも危険を回避する術を身につけさせなければならないというのは相当なことだ。
『ユー・ガット・メール』のような出会いを素直に素敵な話だなと感じた以前の僕は今はもういなかった。