ソートベーカリー

小麦粉をこねてパンを焼くように、頭の中で考えたことを文章にしていきます。

粘土パン

地元の家族や親戚の話が差別や偏見に満ちているのがとても不愉快。

それは今に始まったことじゃなく、思い返せば昔からそうだし、僕の「そんなことないよ」という意見に耳を貸さないところからこれから先も変わらないんだろうなと絶望している。

 

NHKのバリバラの部落差別の回を見て思ったんだけど、子供の頃から親の持つ差別観を浴びて育てばそりゃあその人も同じ差別を繰り返すだろうし、そこに悪意なんて微塵もないってこともよくあることなのかもしれない。

だからそういう差別や偏見をする人に「それ差別ですよ」と言っても意味がないんだろうな。

 

その一方で割と早いうちに地元を離れて一人暮らしをし、学科の種類の多い大学で様々な人と出会い、海外留学もして知らない文化の中で暮らしてきた僕が今でも柔軟に「そういう人もいるのか」と受け入れる姿勢が取れるのはものすごく幸運なことなんだと自覚する。

 

人の考え方は粘土と同じで、常に刺激を与えて柔らかくする努力が必要で、しばらく放置しておくと硬くなってしまい変化できなくなるんだと思う。

 

だからもううちの家族には何を言ってもダメだ。

と決め付けてしまうのは、僕の粘土の硬い部分なのかもしれない。

f:id:mumusanopinojr:20200226223457j:image