東京五輪が閉幕した。
では東京五輪は成功したのか、失敗したのか考えてみる。
楽しんだ人にも、1秒も見てないという人にも、読んでみて欲しい。
まず立場を明らかにすると、僕は割とスポーツが好きで、五輪に関しては開会式が大好きだ。2013年に東京招致が決まった時は喜んだし、もしかすると近くで見れるかもと楽しみにしていた。公式ボランティアに参加はできないが、自分の多少の言語力を駆使して街にいる外国人を案内するくらいは役に立てるんじゃないかと画策していた。
しかしご存知の通り、徐々に不安要素が明らかになっていき、挙げ句の果てにコロナ禍でも強行開催という話になると拝金主義を感じた僕の熱は冷めた。
無観客開催が決まる頃には、チケット代さえ返ってくればもうどうでもいいよとまで思うようになった。
そして開幕。楽しみにしていたテニスやカヌー競技は平日昼間の仕事中に行われる為、見ることができずイマイチ乗り遅れた感じがあった。
それでもロンドン五輪でセーリングの面白さに気づいたように、今大会では馬場馬術とスポーツクライミングの魅力に気づくことができた。
IOC、JOC、東京都、日本政府らの体たらくと旧態依然とした体質とは対照的に、選手たちは実力を遺憾無く発揮していたし、各競技会場の準備に尽力した人の存在も感じることができた。
そしていくつかの印象的な場面が生まれ、これからのスポーツについて考える機会となった。
①スケートボード・サーフィン・スポーツクライミングなどの新競技で、対戦する選手同士が励まし合い、技を教え合い、技術を高め合う姿が見られた。長年日本で定着してきた「指導者と選手」といった上下関係ではなく、横の繋がりが競技を盛り上げていくことを体現していたように思う。
②重量挙げではニュージーランドのローレル・ハバードというトランスジェンダーの選手が出場した。男女の体格差が現れる競技において、性的マイノリティはどう扱われるべきか、これにはまだどの国も答えを出せていない。競技をしたい選手の思いを競技と関係ない要素でぶった斬ることがないように考えていかなくてはならない。
③柔道ではアルジェリアのフェティ・ヌリン選手がイスラエルのトハー・ブトブル選手との対戦を棄権した。これはパレスチナ問題に端を発し、イスラエルを国と認めていないという立場を明らかにしたもので、少し調べると実は「イスラエル・ボイコット」は長年に渡りスポーツ界では度々起きていることだという。日本人には馴染みのない話かもしれないけど、国籍や領土の問題が複雑なところがまだまだあることを知っておかなくてはいけない。開会式で台湾を「チャイニーズタイペイ」と紹介している理由についても考えておきたい。
他にもベラルーシのクリスティナ・ティマノフスカヤ選手が帰国することを避けポーランドに亡命したりもしている。
僕らは五輪期間の報道を通して、アメリカが金メダル何枚で日本は何枚で…というようになんとなく「メダルを集める国別対抗戦」のように感じているところがある。しかし上記の例などを見るとスポーツの本質を考えた時に国家という単位で扱うべきではないんじゃないかということに気付かされる。
アスリートがその実力を遺憾なく発揮する、その為に必要なことと不必要なことをこれから時間をかけて“みんなで”しっかり考えていかなくてはいけないんだなと思い知った五輪だった。
例えば今はオリンピックとパラリンピックが分かれて開催されているが、足が悪いから杖や車椅子や義足を使っている選手と、目が悪いから眼鏡やコンタクトを使っている選手がなぜ障害者と健常者に分かれた扱いなのか、考えてみても面白いと思う。
始めに戻って、「東京五輪は成功したのか失敗したのか」と語られがちだがまだ判断には早いというのが僕の答えだ。
今大会を通して起きた様々な出来事がきっかけとなって日本国内で議論がなされれば「成功」だったと言えるし、何も変わらなければ「失敗」だったと言われるんじゃないだろうか。
少しずつでも、身近な人と話してみることだ。